2015年8月1日土曜日

山城知佳子「肉屋の女」

東京国立近代美術館の常設展に山城知佳子さんの映像作品「肉屋の女」がありました。
沖縄の米軍保有地にある闇市で働く女を描いたフィクション。
しかし実際は台詞もほとんどない詩的な作品。
鍾乳洞を行く女たち。海中でダンスを踊るかのように群れる女たち。
南方の文化を思わせる神話の世界。
タイのアピチャッポン・ウィーラセタクンを連想しました。

工事現場で働く労働者姿の若い男が次から次へと肉を求めて手を伸ばしてくる。
彼らはそれを屋外の鉄板で焼いて食うのである。女は包丁で肉をさばいては渡していく。
後から後から伸びる手。ついには男たちは女をつかんで引きずり出して群がる。
男たちが去った後には何も残らない。
肉片の描写は死のイメージ。表面の映像は美しいのに裏側には死と暴力が潜んでいる。

2015年7月6日月曜日

三井記念美術館「春信一番!写楽二番!」

三井記念美術館の「錦絵誕生250年 春信一番!写楽二番!フィラデルフィア美術館浮世絵名品展」に行きました。

浮世絵の色の変化を怖れて展示室の照明を暗くしており、室温を20℃に下げていることが案内されていました。人間にとって快適な環境とは思えなかったです。
展示内容は充実していました。中でも鈴木春信が多いことが印象に残りました。そして絵の解説がきちんとしていることが有難かったです。
画面には春信流の若い美しい女が(あるいは若い男が)描かれているのですが、絵の内容を何かの物語を見立てたりしているので、その元を知ることで絵を深く観賞できるのでした。
例えば伊勢物語の武蔵野を題材とした絵は、「武蔵野は今日はな焼きそ若草の つまもこもれりわれもこもれり」の歌を踏まえ、娘の振り袖に隠れる若侍という構図に変わっていました。
まず初めに歌があって、それを春信流に絵で表現しているわけです。これは鑑賞者にとっては教えてもらわなければ到底分からないことだと思います。

後は写楽が充実しており、歌麿・北斎・広重など有名浮世絵師たちが登場していました。

2015年6月19日金曜日

ビル・ヴィオラ初期映像短編集

森美術館で「ビル・ヴィオラ初期映像短編集」を観ました。
「歯と歯のあいだで」
遠く離れた場所にあるカメラが、叫び声を上げるヴィオラ本人に向かって動き、歯のクローズアップに至るまで近づく。その映像を何度も繰り返す。その合間に台所の映像。皿に入ったコーンフレークや蛇口から流れる水。
「映りこむ池」
森の中の貯水槽の前にたたずむ男。水の中へ身を投げる。しかし水面に落ちることはなく静止。水面に映るのは時間の経過とともに移り変わる周囲の様子。貯水槽の周りを歩く人々。
「日の老いたる者(天地創造の神)」
遠くにレーニア山が映り、その前の草地には女の子。やがてその映像は電光掲示板の映像となり、カメラが引いていくとそれが映っていたのは新宿アルタの電光掲示板。
「ヴェジタブル・メモリー」
築地場内の慌ただしい映像が何度も繰り返される。最初は超高速の早回し。繰り返されるたびゆっくりになり、最後はスローモーション。
「聖歌」
ホテルのロビーで叫び声を上げる少女。石油採掘の機械の動き。外科手術の映像。
以上です。
作者がその初期から異なる複数の時間の流れを追求していたことがよく分かりました。
人間の意識内で速くなりまた遅くなる時間の流れをビデオとして外部に取り出す試みが分かりました。素材の魅力ではなくコンセプトの魅力で最後まで飽きさせない映像でした。
ちなみにビデオ素材をデジタル化してスクリーンに投影しているのですが、映像はぼやけています。

2015年5月2日土曜日

根津美術館「尾形光琳300年忌記念特別展 燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密」に行きました。
尾形光琳の「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」がメインでした。
MOA美術館からは紅白梅図だけでなく、花卉摺絵新古今集和歌巻も来ていました。美術館の展示として珍しいほどに伸ばされて(10m以上?)、宗達の下絵を見ることができ、そのリズミカルな繰り返しは「燕子花図〜」のパターンの繰り返しに通じているのだぞ、とのメッセージを受け取ることができました。
小西家文書には光琳の手になる燕子花のデッサンがあり、実物を見ながらのデッサンがやがて図案化され配置されていくのだと思わせるものでした。
琳派愛好家にお薦めします。図案化されているのに形式主義に陥らない琳派の心意気を感じることができます。

期間:2015年4月18日(土) - 5月17日(日)
休館日:    月曜日 ただし5月4日(月・祝)は開館
開館時間:    午前10時 - 午後5時(入館は午後4時30分まで)
【夜間開館】5/12 - 5/17 午後7時まで開館(入館は午後6時30分まで)

五島美術館「春の優品展」


五島美術館「春の優品展ー和歌と絵画ー」に行きました。
万葉集、古今和歌集、後撰和歌集などの写本が展示されています。
訪れた日には源氏物語絵巻も展示されていました。文章である詞書と絵とが交互に現れるのですが、詞書は抄出であり物語の本文そのままではないのですね。一枚の色紙に書かれた文字はかなりの量ですが、読めません。配布の紙に詞書の全部が書いてあるので何という文字か知ることができました。
俵屋宗達や尾形光琳(伊勢物語「東下り」)など琳派の絵もあって楽しむことができました。

期間:     2015年4月4日[土]―5月10日[日]
休館日: 毎月曜日(5月4日は開館)、5月7日[木]
開館時間:午前10時―午後5時(入館は午後4時30分まで)
(源氏物語絵巻は5月10日まで展示予定)

2015年4月19日日曜日

山口小夜子 未来を着る人

東京都現代美術館「山口小夜子 未来を着る人」を観ました。
若き小夜子さんの姿を写した横須賀功光さんの写真は、広告写真として撮られたものでありながら作品写真としての美しさがありました。スナップのような生き生きとした表情と入念な背景の作り込みとが共存しており、若々しい姿には圧倒的な美のオーラがありました。大判の写真の他に、コンタクトプリントが並べられそのうちの一枚に印が付いて、それが実際に採用されたのだと分かるような展示がありました。資生堂の広告で中村誠さんのディレクションは、入念なトリミングと写真細部への修正を施すことによって広告を越えた尋常ではない質の高さに到達していました。
映像ではファッションショーの様子がいくつか流れていました。でももっとその何倍、何十倍もの量でランウェイでの小夜子さんの動きを見たかったです。着る服によって体の動きを変え人格を変える姿を確かめたかったという気がしました。
おかっぱの黒髪、切れ長の眼差しというある種の様式美でモデルとしてファッションショーに参加し、テレビCMに出演する。それはいわば、周囲の願望や期待など、他人の思いを身にまとい着こなしているとも言えるわけですが、ウェアリスト(着る人)と自ら名乗った小夜子さんはそれを引き受け、まったく気にもしていない様子でした。
70年代から80年代にかけて小夜子さんの周囲にいて一緒に仕事をした人々は真に独創的な仕事をしていたということ、小夜子さんの姿は既存のイメージを後追いしたものではなくオリジナルの存在だったということを、今回の展示で知ることができた気がしました。美術館で山口小夜子さんの姿を見ることができてよかったです。

2015年3月16日月曜日

VOCA展2015と都美セレクション2015

上野の森美術館「VOCA展2015現代美術の展望 新しい平面の作家たち」に行きました。
小野耕石さん、平野泰子さんは複雑で微妙な色合いを持った抽象絵画でした。絵具を何層にも重ねることにより、見る位置によって色が変わって見えるような絵を作り出していました。
岸幸太さんの作品ではパリコミューンの頃の労働者の姿と自分のシルエットとが混ざり合い共存していました。労働者たちは写真で、自分は筆の筆致で現れているのでした。福田龍郎さんの作品は航空写真をデジタル処理しており、現実と空想とを混合させた画像を生み出していました。
こちらの展覧会は3月30日まで開かれています。

それから東京都美術館「都美セレクション新鋭美術家2015」に行きました。
瀬島匠さんの作品では荒涼とした海を背景にして巨大な黒い建築物のような存在が圧倒的な姿で眼前に現れていました。髙島圭史さんの作品は過去の記憶がコラージュのように組み合わされており、郷愁を誘う描写が幻想的な雰囲気を生み出していました。
こちらの展覧会はすでに終了しています。

2015年2月16日月曜日

東京駅100年の記憶

東京ステーションギャラリー「東京駅100年の記憶」展に行きました。模型の展示によって年代ごとの駅や周りの建造物の姿を見ることができます。現在の東京駅の姿と改装前の姿とはまったく違っていました。ドームでなく八角形の建物であったり、その一部は三階建てでなく二階建てであったりするのでした。

石川光陽の写真もありました。彼は警察官の立場からカメラ(警視庁に頼み込んでライカを購入してもらった)を使って撮影をしており、戦時中の空襲などの光景を撮影していたのでした。東京駅は戦時中爆撃により破壊され、戦後に改修を行うことになったのですが、経費の都合上ドームを造ることができず八角形形状になったのでした。

幾つもの新聞が展示されていました。原敬の暗殺や浜口雄幸の銃撃事件があったのは東京駅でのこと。当時の新聞の展示がありました。その他には1980年代に東京駅を25階建て高層ビル化する計画の新聞記事もありました。当然その計画は撤回され今日の姿で改修されるに至るわけです。

東京駅は単なる一つの駅舎だけにとどまらず、文学作品の中で東京の代表として描かれたり、日本の象徴として扱われたりする存在であることを感じさせる展覧会でした。

2015年1月27日火曜日

菅木志雄展

東京都現代美術館「菅木志雄 置かれた潜在性」に行きました。
1960年代から70年代にかけて制作された作品を展示していました。
「依存差(1973)」では自然のままの形状の石と直方体に面取りされた石とが金属面の上に置かれていました。素材感の違いから金属と石とは明らかに違う物として存在していました。
「並列層(1969)」ではロウの薄い平板が積み重ねられているのですが、わざわざ薄い面の側を使って積層した部分は明らかに不安定であり、広い面を積み重ねた場合(すなわち同じ性質を示す部分がより大きい形での接触)はより安定していました。
「多分率(1975)」では平面状に張られた半透明ビニールシートの上側に自然形状の石を置き、下側に四角柱を置いていました。下に四角柱があると知っていれば上の石を見て下の石の形状を想像することは不可能ではありません。けれども下の四角柱を見て上の石の(自然のままの)形状を推理することはどう考えても不可能なのでした。
「捨置状況(1972)」では壁から張り巡らされた何本もの金属線の交点に木片が乗せられていました。(いくつかの木片は交点でなくただ金属線上にありました)。木片の形状はさまざまですが、それらは交点の位置を占めているという共通性を持っていました。そして仮に金属線がなかったと仮定するならば、交点の存在を想像する必要がありました。
「界入差(1979)」では金属面の上に自然形状の石と直方体の石とが置かれていました。ただし直方体の石の表面は金属で覆われており、それが部分的であるために(同じ性質を示す部分がより大きいために)石に近い物として知覚可能となっていました。おそらく金属部分が大きくなればなるほど金属として知覚する可能性が高まるのでしょう。

ミュージアムショップに菅さんの本(推理小説)がありました。菅さんの作品は知的作業によって作られたものであり、解答がある芸術なのではないかという考えを抱かせる出来事でした。

会期:2015年1月24日(土)- 3月22日(日)
休館日:月曜日
会場:東京都現代美術館(企画展示室地下2F)
開館時間:10:00 - 18:00 ※入場は閉館の30分前まで

2015年1月12日月曜日

奈良原一高「人間の土地」「王国」

東京国立近代美術館に行きました。
3階では奈良原一高「人間の土地」の小特集が組まれていました。
長崎の端島(軍艦島)を撮影した写真と、桜島の噴火に見舞われた黒神村を撮影した写真。
見る者を引き込む鋭い描写に圧倒されました。発表してすぐ反響を呼び、大学院生だった奈良原を一躍有名にしたとの解説も納得できました。
とくに軍艦島については、当時は炭鉱の町で何千人もの人間が住んでおり、レンズはアパートや地下道を行き交う人たちや浴場での炭坑夫の姿など、生活の様子を克明にとらえていました。端島神社も写っています。
人間と社会機構との対立をあぶり出すという撮影者のコンセプトは成功を収めていました。写真の裏側には撮影当時の過酷な労働状況が隠れているのだと思います。けれども私は周囲から隔絶し孤立した世界の描写に、未知の世界への憧れ(少年が夢見る冒険の世界)が含まれているように感じられてなりませんでした。
例えば漫画の鶴田謙二「冒険エレキテ島」を思い出す瞬間もありました。軍艦島のような外観をした未知の島が海上に浮かび、太平洋を巡回している。小さ過ぎるゆえに誰もその存在に気付かない。いつ何時遭遇できるかも分からない…
若者らしい感性がこの写真を支えているのだと思います。

2階では奈良原一高「王国」の特集が組まれていました。
北海道の修道院を撮影した写真と、和歌山の女性刑務所を撮影した写真。「人間の土地」のように孤立した世界を撮影したものですが、より世界の広がりを感じ、普遍性を感じる写真が並んでいました。
作者自身が単行本にカミュ「ノア」からの引用を載せているのですが、それが相応しいのは修道院の方でしょう。祈りの生活の静謐さや、人間だけでなく自然や動物たち(羊など)との交流が描かれています。