2023年1月19日木曜日

ルパン三世1stシリーズの音楽から

テレビアニメのルパン三世1stシリーズ(旧ルパン)はとにかく音楽が良かった。物語の単なる伴奏にとどまらず、劇中に流れる音楽をそれだけ取り出して聴いても心躍るような素晴らしさがあった。

テレビ放送の音源を集めた「ルパン三世'71MEトラックス」というCDを聴いた。放送時に製作された音楽が効果音と一緒に収録されている。新規に演奏したものではなく、番組を観たときに聴いていたそのままだからうれしい。ブリッジのような数秒の長さの曲も丁寧に収録してくれていて有り難い。
高島幹雄さんが解説を担当している。それによると、音楽を担当した山下毅雄さんはルパン役の山田康雄さんとは彼がテアトル・エコーに在籍していたころからの知り合いだったという。山下氏にとって、山田氏のイメージはロックであり、だからルパン三世の音楽は山田氏のイメージで作られたものだった。
アクションシーンで流れる音楽はごく短いフレーズの積み重ねで作られていて、全体として調和のとれた世界を構築するという音楽ではなく、それは例えば警察の予想もしない方法で宝石を盗むような敵の裏をかくルパンの世界に一致するものだった。
旧ルパンの音楽を聴いていると、あらためて僕の中でその音楽が占める割合は大きかったのだな、と思う。
AFRO "LUPIN'68" TV ORIGINAL

話はルパン三世やアニメ音楽一般に限らず、その後クラシック音楽を聴くようになってからも、フレーズとフレーズをつなぐ経過句のような、曲の中でそこだけ独立した世界を作るような曲想が好きになることがあった。
旧ルパンの音楽とは音楽としては似てもつかないけれど、独立した世界という意味では例えばモーツァルトの「ジュノーム」のメヌエットや、あるいは経過句という意味ではピアノ協奏曲第23番の第3楽章の中間部などは僕の中で印象に残っている。
全体の構成はまったく似ていなくても、細部の現れ方だけを取り出せば意外なものに共通点が見えてくるかもしれない。
ピアノ協奏曲第9番第3楽章(25:38~)
ピアノ協奏曲第23番第3楽章(21:17~)

音楽に限らない話をするなら、小説の中で急に文体が変わり、文章の調子がそれまでと変わることがある。
ドイツ語の小説ではムージルの「愛の完成」やカフカの「判決」などはそのような作品として印象に残っている。それまでは一つの文章が長かったのに、クライマックスになると文が短くなり、たたみかけるような調子になっていた。
「愛の完成」では参事官の誘惑に屈するまいと抵抗していた主人公が突然堰を切ったように行動へと駆り立てられていた。「判決」では弱気な態度に見えた父親が豹変し、すると主人公は家を出て川にかかる橋まで走り欄干を飛び越えていた。
そうした小説のドイツ語を日本語に翻訳してみたことがあるが、原文が短いとき思い切り訳文を短くしていた。そんなときは心の中で、作者が急に調子を変えたとしてもついていこう、作者が急加速したとしても遅れることなくついていこう、という気になっている。どうやら僕は訳文を考えながら、自分の文章を加速させて文章の調子が変わることを楽しんでいるようだ。

そういえば子どもの頃にシャーロック・ホームズをよく読んでいた。名探偵が登場する短篇だからまわりくどくなく、物語は一気に真相に到達する。物語の末尾にホームズが事件を要約する一言を述べたり、古人のことわざを引用して鮮やかに締めくくられることも多い。ホームズ以外にも探偵小説や推理小説、ミステリと呼ばれるジャンルへの偏愛はずっと続いている。一気に真相にたどり着く物語、何か急に流れが変わるという点に惹かれているのかもしれない。

だから(あくまで仮の話だが)自分で小説を書くとしたら、推理小説であったとしても殺人事件が起きる必要はなく、名探偵が出てくる必要もないだろう。「日常の謎」であってもよいだろう。けれども物語には中心となる一点があって、主人公はその一点についてあれこれ思索をめぐらすことは必要かもしれない。そして文体によって何かを語っている小説。はたしてそんな小説を書くことは可能だろうか。