2022年1月1日土曜日

映画「転校生 さよなら あなた」

 「転校生 さよなら あなた」が作られてから何年も経って、やっと私はこの映画を観たのだった。

 前作の「転校生」から今作の「転校生 さよなら あなた」まで二十五年が経ったが、二人が住んでいる家のたたずまいはあまり変わらない。だから映画の公開当時の平均的な家の様子とはいえないだろう。一美の家も一夫の家も(弘の家もそうだ)一戸建ての何部屋もある家で、部屋の照明は異常に暗く、光と闇が同居している。一美の家の食事はちゃぶ台を囲み、テレビは古めかしい。DVDの特典映像で大林監督は「映画は現実を丸写しするものではない」と語っていたが、その通りの映像になっている。

 それだけでなく、今作では映画の中で「これは現実ではなく物語である」ということがさかんに強調されるようになった。

 映画の中でカメラの画角は常に傾いており、登場人物に合わせてよく動く。それはこの映画が現実世界の客観的な描写でなく、主観的な物語であることを示している。

 さらに、一美は普段から物語を創作し空想の世界に遊ぶ子であるという設定が加えられた。今作で二人は水場に落ちて入れ替わるのだが、その水場に行く前に一美は一夫に「行こうか、わたしたちの物語の中へ」と言う。入れ替わって騒動が巻き起こると、カズオは「お前は得意かもしれないけれど、俺はこういう非現実の物語は慣れていない」と言う。いずれもこれが物語であることの強調だ。

 俳優がこれは物語であると言い出すのも変だが、セルフリメイクであり、前作のことは俳優も観客もよく知っているのだから、メタフィクションの要素が入ってきても不思議はないだろう。

 今作で「転校生」の物語を作るのはカズミとカズオの二人だけではない。ヒロシとアケミの二人がカズミとカズオの味方になる。二人は入れ替わりの状況を理解するだけでなく、その物語が壊れないように二人のために尽力する。まるで今作ではヒロシもアケミも監督の分身であり、「転校生」の物語を懸命に守ろうとしているかのようだ。


 今作では一美の体(中身はカズオ)が不治の病に侵される点が前作と違っている。だが具体的な病名が語られることはない。

 病床のカズオを見舞ったアケミがあごの辺りでピアノを弾く指の真似をすると、すぐカズオが同じ身振りで応える場面は感動する。二人には共通の思い出があり、見た目の姿がどれほど変わろうとも、心のつながりは変わることがなかった。前作にはなかったこの場面こそが今作の白眉であったと思わずにはいられない。

 その後カズオの母が「なぜ私が一美ちゃんのお見舞いを?」と言いながら、目の前の一美の姿をした子が自分の息子であることに無意識のうちに気づく場面も同じように印象に残る。

 ただし、映画全体としては、カズオが選ぶのはカズミであり、カズミが選ぶのはカズオだった。

 ヒロシはカズミに「君の心を愛している」と言うのだが、彼女から「どうしてわたしの心の中が見えるの?それはヒロシくんの中にある理想のわたしでしかない」と言われ、振られてしまう。彼は考えを改め、新しい彼女に「君のおでこは可愛い、あごの形が好きだよ」と目に見える部分を褒めるのだが、今度は彼女から「心の中を見てほしい」と言われる始末。

 そのように精神的で思弁的なつながりよりも肉体的な(それを地に足のついたと表現してもよいけれど)つながりの方を大事にする物語ではあるのだけれど、それでもアケミとカズオの精神的な絆の場面の輝きは変わらない。そしてカズミの心を愛し彼女のために尽くしたヒロシの奮闘も無駄にはならなかったと言えるだろう。


 今作での一美は不治の病に侵されるだけではなく、作品中で死んでしまう。

 その理由として、監督はDVDの特典映像で現在はそれほど抜き差しならぬ時代であること、世界中に戦争の絶えることはなく、戦争の影が身近に迫っていることをあげていた。映画の中にはそうしたことを取り込まなければならないというのだが、晩年に監督が繰り返し訴えた考えがここでも出てきている。

 けれども、観客は他の理由を考えても別にかまわないだろう。例えば、一夫はナレーションで一美の病のことを「成人に差しかかると発症する病」と表現していた。これを「大人になれない病」ととらえ、大人になれずに死ぬ一美の姿に監督の過去の作品たちを重ね合わせることもできるだろうし、今作で過去の作品たちとの別れを告げていると受け取ることもできるだろう。

 前半のコメディから後半のシリアスへと変わる中間点で蓮佛美沙子はピアノを弾きながら歌う。カズミとカズオの二人の心情に同時に寄り添うような素晴らしい歌唱だった。

 ピアノを弾いているのはカズオであり、歌っているのはカズミであり、最初はずれていた二人の演奏が最後にぴたりと合うということを監督は語っていた。だが実際に画面に映っているのは蓮佛美沙子ただ一人なのだから、彼女がカズミとカズオの二人を同時に体現し「転校生」の世界を体現していたと言ってもよいだろう。その彼女が演じる一美が死ぬということは、カズミとカズオの織りなす「転校生」の物語との別れを告げているということも言えるだろう。

 今作の全編に流れる、過去を振り返るようなノスタルジーは過去の作品世界との別れを意味しているのだと私は考えている。