2022年11月5日土曜日

シュニッツラーのTraumnovelleという小説のタイトルを何と訳すか?

シュニッツラーという作家に“Traumnovelle”という小説があるが、この作品の題名を何と訳すべきか迷ってしまった。Traumは「夢」でよいと思うのだが、問題はnovelleの方で、題名としてふさわしいのはどのような訳語だろう。すでに何種類かの日本語訳が出ているから、それを参考にしてみよう。先人たちは題名をどう訳しているだろうか。

調べてみると、出版されている書物ではいくつかの異なる題名が存在することがわかった。
岩波文庫の池内紀・武村知子訳では「夢小説」となっている。
ハヤカワ文庫の尾崎宏次訳では「夢がたり」となっている。直訳すれば「夢小説」になることを認めつつ、編集者とも相談の上で「夢がたり」に決めたとのこと。
文春文庫の池田香代子訳では「夢奇譚」となっている。
さまざまな題名に訳されているが、訳者たちはなぜその題名にしたのかを明確に、簡単に分かるように書いてくれてはいなかった。

辞書でnovelleという単語を調べてみよう。
独和辞典によるとnovelleは「ノヴェレ、短編小説、短話」である(小学館独和大辞典)。
独独辞典によるとnovelleは「短篇あるいは中篇の長さを持ち、単独の事件を扱い、結末に向けて直線的な筋の経過をたどる物語」とある(Duden Wissensnetz Deutsche Sprache)。
ちなみに英語のnovelは長篇小説のことを指す(短篇小説はshort storyと呼ばれる)から、ドイツ語のnovelleとは異なっている。また英語のnovelには「新しい」という意味もある。だから人が小説のnovelと「新しい」という概念とを結びつけたとしてもそれはおかしなことではないだろう。
ゲーテがnovelleという単語について「前代未聞の出来事にほかならない」と言っている(エッカーマンの「ゲーテとの対話」による)。ではシュニッツラーのTraumnovelleという小説の内容を見てみよう。どのような内容だろうか。

主人公はフリードリーンという医師であり、妻と幼い娘がいる。妻との仲は良好だが、身の回りにいる何人かの女に戯れのような浮気心を抱いている。ある夜、彼は秘密のパーティーに参加する。初めは舞踏会のように思われたが、途中から大勢の裸の女たちが出てくる夢の世界のような奇妙なパーティーだった。一人の女と会話を交わしたところで彼は部外者であることがばれて追い出される。朝帰りをした彼は妻から彼女の見た夢の話を聞かされる。とりとめのない、それでいて彼女の心の奥にある浮気願望を感じさせる夢だった。彼は腹を立て仕返しをしようとするが、浮気相手ともくろんでいた女たちは次々と彼の元を去る。パーティーで出会った女と思われる女が自殺したことを新聞で知る。病院の死体置き場を訪れて確かめようとするが、当の女かどうか判断できない。主人公は浮気心を捨て、妻と誠意をもって向き合うことを決心するのだった。

Traumnovelle の訳語の候補として、池田香代子訳の「夢奇譚」を考えてみよう。
ゲーテによるとnovelleとは「前代未聞の出来事」であるが、「珍しい話」「珍奇な話」「奇妙な話」と言われることがある。novelleという題名を持つ小説にもさまざまな内容が含まれるということだろう。
だがそのような中においても奇妙な雰囲気の小説であれば、「奇譚」という語を使ってもよいと思われる。奇妙な話と呼ばれるための条件としていくつかあるだろうが、夢のような不思議な話、日常と異なる論理が支配する話などは奇妙な話と呼んでよいだろう。
もう少し題名にnovelleという語を含む小説を考えてみよう。シュニッツラーの他にもツヴァイクやゲーテの作品にnovelleを含む題名の作品があるから、それらを見てみよう。

ツヴァイクにはSchachnovelleという小説があり、「チェスの話」「チェス奇譚」と訳されている。
小説の主人公B博士は物語の途中から未知の人物として登場する。B博士がチェスに熟達するようになった状況は印象に残る。ホテルの一室に幽閉され、閉ざされた空間で自分と対局を重ねることでチェスに熟達するが、現実から離れた空想の世界に生きたことによって精神の安定を逸する男。小説には当時ナチの台頭に伴って多数派を占めつつあった、ある種の共通した特徴を備えている人々への批判的な目があり、夢のような話というよりもっと苦い現実社会の認識があった。
もしもこの小説が奇妙な話だというなら、それはホテル内への幽閉によって異常な能力を手にした男の物語という点にあるだろう。

ゲーテにはそのものずばり、Novelleという題の作品がある。先にあげたエッカーマンとの対話はこの作品について述べたものである。
エッカーマンはゲーテに言う。ある登場人物を小説の始めの方にあらかじめ出しておくのではなく、クライマックスで未知の人物として登場させる方がよいでしょう、と。ゲーテはその意見を認める。さらに、題名は「ノヴェレ」にしようと言い、そもそもノヴェレとはにわかに起こった前代未聞の出来事にほかならないのだから、と言う。
ゲーテが「novelleの本来の意味は前代未聞の出来事だ」と言ったのは、特定の小説「ノヴェレ」についての議論の流れからだった。さらに、そこでは読者にとって未知の登場人物を出す、未知の事実が明かされる、という意味合いが込められていた。
その「ノヴェレ」という小説は、このような話である。
城に住む侯爵夫人が城下町を訪れると、市場で火事が起き、その影響で見せ物小屋のライオンが逃げ出す。狩に出ていた侯爵が戻ってきて、ライオンを捕え殺そうとするが、ライオンの飼い主がそれを止める。ライオンは飼い主家族の笛と歌の力によって、おとなしくなるのだった。
ゲーテの作品は奇妙な話というより、ある事件の顛末が語られる小説であり、全体は詩的散文としての雰囲気を持っている。

novelleという題名を持った小説の中でもその内容はそれぞれ異なっていた。
シュニッツラーのTraumnovelleについて考えてみると、妻が自分の見た夢の内容を延々と語っていた。主人公が参加したパーティーには意味有り気に裸の女たちが現れるが、結局それが何を意味していたのかは明らかにされない。主人公が「さる大公の仕業ではないか」と独白するのみである。小説の描写は夢の中のように断片的なものになっている。
そのような意味において、シュニッツラーのTraumnovelleは先にあげた小説の中で一般的な意味での「奇妙な話」に近く、「奇譚」と呼ばれるにふさわしいだろう。だからTraumnovelleを「夢奇譚」と訳すのは悪くないだろう。

さて、ここまで書いてきて「田中一郎」訳のTraumnovelleはどのような題名に訳されたのだったか、見てみよう。
「夢物語」
嗚呼、本当にこの題名でよかったのだろうか?