2014年5月17日土曜日

今関舞香展「ゆめいじり」

銀座の十一月画廊で行われている今関舞香さんの展覧会「ゆめいじり」を見ました。
万華鏡と石膏のレリーフと無数の小ドローイングが展示されていました。
ドローイングはモデルの裸体を筆ですばやくデッサンしたようでした。レリーフは子供の下半身や乳房を思わせる部分が平面から飛び出しているものでした。
そして万華鏡は、手のひらサイズの小さなものから銅板で作られた大きなものまでありました。最大のものは、ちょっと漫画的に太った人体がお尻を突き出している形でした。台座に固定されているので転倒したりしません。鑑賞者は尻の穴から眺めて頭部にセットされた万華鏡の部分を回転させることになります。液体(グリセリン)に材料が収められており、回転させて止めるとしばらく慣性で動くので視覚的に面白いです。
作家さんと話をしたのですが、まだ大学院生なので制作は大学で行っており、注文を受けたとしても夏休み期間中は大学が休みのため制作できないとのことでした。

2014年5月5日月曜日

DIC川村記念美術館コレクション展

DIC川村記念美術館に行きました。
5/6までの土日祝日限定でDIC総合研究所の敷地内の一部に入ることができました。
道路端にはツツジの花が咲いていました。
美術館では山口長男さんの小特別展とコレクション展がありました。
バーネット・ニューマン「アンナの光」はもはやDIC川村記念美術館にはなく、ニューマンルームは完全に閉鎖されていました。マーク・ロスコの作品を展示した部屋の深遠で閉ざされた世界から外光の降り注ぐニューマンの部屋へと上昇する行程はこの美術館の白眉であったわけですが、それはもはや存在しません。
コレクション展では、これまで常に展示されていたというわけではないロダン「煉獄」やヴンダーリヒ「座長」などの彫刻が印象に残りました。
レンブラント、ルノアール、コーネルなどいくつかの作品もコレクション展に移動し、周りの作品が変わることで新鮮な感じを与えていました。
作品の横のキャプションにも力が注がれていました。例えばブルトンの肖像(マン・レイ撮影)を使ったコーネルの作品の横には、マン・レイについてのブルトンの文章がありました。別のコーネルの作品の横には、瀧口修造のコーネル賛の文章がありました。また藤田嗣治の絵の横には、藤田とモデルの女性の間のエピソードが書かれていました。
コレクションから新たな魅力を引き出そうとする学芸員の方々の努力に敬意を表します。そしてニューマンが去ってなお、遠方からの来訪者を引き付ける美術館であることを期待しています。

2014年5月3日土曜日

根津美術館「燕子花図と藤花図」

根津美術館に行きました。
庭園では燕子花が咲いていました。
また藤の花も咲いていました。
そして美術館では「燕子花図と藤花図」展が開かれていました。
尾形光琳の燕子花図は伊勢物語の場面を描きながら大胆な省略を行い、男や連れの者たちの姿はどこにもありませんでした。あるいは単に燕子花をデザイン化して描いただけとも解釈できます。同じ燕子花を繰り返して描いているのかもしれませんが、見た印象では多種多様な描写が行われていると感じました。

燕子花は伊勢物語の八橋の段に登場する花です。
男が三河の国八橋に着いたところ、燕子花が美しく咲いていた。そこで「かきつばた」を各句の頭において旅の思いを詠んだ。

からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ
(慣れ親しんだ妻が京にいるので旅が物悲しく思われる)

京の都を離れた男の望郷の思いに連れの誰もが涙した、と。
伊勢物語は簡潔な短い文章によって読者の想像をかき立て、歌によって物語の各段を鮮やかに締めくくるところが特徴だと思います。
以前出光美術館で伊勢物語展がありました。そのとき筒井筒の段に感動したことを覚えています。子供のころ井戸のそばで互いの髪の長さを比べ合った男の子女の子は成長しやがて夫婦となった。けれどもやがて男は他に女を作りその家に通うようになった。あるとき男が外出するふりをして自分の家を外から覗いてみると、妻は夫の無事を願って歌を詠んでいた。その姿を見て夫は他の女の元に通うのを止めた、という話です。
私がこの話に感動した理由は、夫を待つ貞淑な妻の姿に感動した、ということではないです。むしろ簡潔な描写によって運命の変転に対する想像がかき立てられた、というのが正しいです。

特別展 燕子花図と藤花図 光琳、応挙 美を競う
会場:根津美術館
会期:2014年4月19日(土)~5月18日(日)
開館時間:10:00 - 17:00
休館日:月曜日 (5月5日(月・祝)開館)

夜間開館:5月13日(火)〜18日(日)
開館:午後7時まで