2023年10月15日日曜日

「ヘンルーダ」について

松岡千恵さんの著書「ヘンルーダ」に興味があった。
岬書店から出版されている。夏葉社の島田潤一郎さんが発行者になっている。
著者は現役の書店員だとのこと。書店員の仕事にまつわるあれこれや、書店で働く人々の姿が描かれる。エッセイのようでもあり、フィクションのようでもあるそうだ。書店によって置いてあるところもあるが、どの書店にもあるという販売形態ではないらしい。

エッセイとフィクションの混合という点に興味を持った。
「起きたそのままのことを書く」エッセイに対して、フィクションによって方向性を定め読者を思索へと誘うような、そんな話の膨らみを持たせることはできるだろうか。フィクションが嘘の方向でなく真実の方向に向かうことはできるだろうか。
フィクションのあり方について個人的に関心があったから、「ヘンルーダ」を読んでみたくなった。

その日は休日だった。普段買い物をするときに行くような場所だけでなく、それまで行ったことのない新しい場所、珍しい体験をしてみたくなるような日だった。
家の近所を休日に歩く景色は、同じ場所を平日に歩くときと景色が違って見える。けれどもそれは気分が大きく変わるというような大袈裟なものではない。同じ景色を少し違う気分で歩くことは、大きな気分の変化をもたらさない。
そこで今まで一度も行ったことのなかった上野のルートブックスという本屋に行こうという気になった。
カフェが併設された本屋。カフェの中に本棚が並んでいるような作りの本屋。その存在は知っていたが一度も行ったことのない本屋だが、どんな本屋なのだろう。

上野駅から歩いてルートブックスに向かった。表通りから少し入ったところにある本屋だった。昔ならたどり着けなかっただろう。GPS機能付きの携帯電話がなかったころの昔には、ギャラリーや雑貨屋に行こうとしてたどり着けなかったこともあった。ルートブックスは駅からさほど遠いわけではないが、ふとそんなことを思い出す。
店の前の通りには車が止まっていて道が狭くなっていた。店の前に植物が生い茂り、植物に囲まれた印象のある本屋だった。木のドアを開けて入ると入口近くにはテーブルが置かれ、その上には本の入ったケースがいくつもある。
その空間は、本棚が並んでいるだけの普通の書店とは少し違っていた。カフェの中に足を踏み入れたような感じだった。本箱の中には何冊ものZINEが入っていて普通の本屋とは品揃えが違っていた。
「購入前の本をカフェコーナーに持ち込まないでください」張り紙がいたるところに貼ってあった。本コーナーで本を買い、喫茶コーナーでその本を読むことを想定しているのだった。

丸の内キッテに昔あった書店のことを思い出した。隣にはカフェスペースがあった。店内は広いというほどではなかったが、本の選定に独特の個性があった本屋だった。
日本橋高島屋に黒澤文庫という書店があって、本格的なコーヒーの店が一体化している。行ったことはないけれど。

「ヘンルーダ」を読んでみた。
確かに作者の体験を書いたエッセイのように初めは思えた。書店員の作者が本屋で体験したこと、書店のアルバイト店員のいろいろな行動が語られる。
風変わりなアルバイト店員の風変わりな発言、あるいは店員が巻き込まれた思いがけない事件など。けれども読んでいるとこれはフィクションなのではないか、実際にあったことを書いているのではないのではと思えてくる。どこか不思議な奇妙な世界が顔をのぞかせる。
短篇集の一つ一つの作品が短いから、奇妙な世界は真実と虚構のどちらとつかないまま終わる。読者は宙ぶらりんになったまま放り出されてしまう。登場人物たちはこれからどうなるのだろう。そもそも彼らは本当に実在したのだろうか。
普通の本は厚紙の表紙にさらに紙がかぶせてあるけれど、この本にはない。これを「チリなし製本」と言うらしい。覆いをかぶせるようなカバーのない製本は、作者の心の声を直接聞くような思いがする本の内容と合っている気がした。