2014年12月12日金曜日

国立科学博物館「ヒカリ展」

国立科学博物館「ヒカリ展」に行きました。
光といっても波長によって長波長の電波領域から短波長のγ線領域まであり、光が存在する場所も普段の生活の照明から宇宙空間まで広がっているので、幅広い題材についての展覧会でした。

初めに宇宙を題材にしていました。宇宙誕生の話や銀河の観測の話。電波望遠鏡やX線望遠鏡を使った観測の様子。特に太陽の観測の解説は充実していて、観測用衛星「ひので」による太陽の観測などを解説していました。それから地球の磁気圏の話になり、オーロラの映像が流れていました。

それから科学史の話。ケプラーやガリレイの時代からアインシュタインに至るまで著書の実物を展示していました。教科書にのっている科学者たちが次から次へと出てきます。
次に地球の話題に移り、蛍光を発する鉱物の実物を展示していました。照明を明るくしたり暗くして蛍光の様子を分からせる展示もありました。それから生物が放つ光の話題。ホタルやウミホタルの発光のしくみなど。蛍光タンパク質についての解説もありました。

それから照明の話になり、人間が使ってきた照明の紹介、最近の照明である青色LEDの話もありました。
時間を計る原子時計から光格子時計の話などがあって、展覧会は終わりました。

どのブロックにも5分ほどの映像が流れていて、それは分かりやすくてありがたいのですが、見ていると時間がかかります。じっくり見ていたら全部で3時間ほど時間がたっていました。
宇宙に関する展示、地球に関する展示、科学史の展示は特におすすめします。学問を分かりやすく解説した展示で勉強になります。


2014年10月28日(火)~2015年2月22日(日)
会場    国立科学博物館(東京・上野公園)
開館時間    午前9時~午後5時
※金曜日は午後8時まで。ただし、1月2日(金)は午後5時まで。
休館日    毎週月曜日(祝休日の場合は開館し、翌火曜日が休館)、
12月28日(日)~1月1日(木・祝)。ただし、12月22日(月)、1月5日(月)は開館。

2014年11月22日土曜日

東京都庭園美術館「内藤礼 信の感情」

東京都庭園美術館に行きました。
本館は室内の修復が終わりきれいになっていました。庭園は閉鎖されていました。かつてミュージアムショップのあった場所は新館となり、展覧会「内藤礼 信の感情」が開かれていました。

作品は100cm四方前後の大きさのキャンバスが何点も並んでおり、白を背景として青から橙を経て黄に至る円環が描かれていました。ただし、その色はあまりにも淡く、白一色とほとんど見分けがつきません。色が塗られていることをあらかじめ知っておいて、じっくり観察することによって初めて分かる色合いです。
また、円環は画面一杯に広がっており、決して小さいわけではないのですが、画面から遠ざかったのでは色調をはっきり感じることができず、近くに寄ることで微妙な色の変化を感じることができました。
作品によって円環が直線になったり、幅が広くなったり、二重環になったりするのですが、かすかな、ほんのわずかな変化があるだけなのでした。

床に一点だけ人型(ひとがた)が置いてありました。それは空蓮房での展示「地上はどんなところだったか」やギャラリー小柳でも見たことのある、ほんの小さな人型です。実は本館にもところどころに人型が置いてあったのでした。余りにもさりげなく、隠れるように、こっそりと。

内藤礼 信の感情
2014 年11月22日(土)ー12月25日(木)
会場:東京都庭園美術館 新館ギャラリー1+本館
開館時間:10:00-18:00 (入館は17:30まで)
休館日:毎月第2・第4水曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)

〒108-0071  東京都港区白金台5-21-9
URL http://www.teien-art-museum.ne.jp/

2014年11月19日水曜日

ウフィツィ美術館展

東京都美術館「ウフィツィ美術館展」に行きました。
ルネサンス時代に描かれていながら、例えばギルランダイオ「聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ」のように驚くほど鮮やかな色彩の絵もありました。
当時の宗教画と現代の写実画とは志向している方向が違っているのですが、その中でもボッティチェリ「パラスとケンタウロス」のように現代の眼で見ても美しさを感じることのできる絵がありました。
館内は比較的混雑していましたが、行列ができている箇所と人がまばらな箇所とが混在していました。好きな絵の前に人が少ない可能性もあります。じっくり観ることができるかもしれません。

2014年10月31日金曜日

ザハ・ハディド展

東京オペラシティアートギャラリー「ザハ・ハディド展」に行きました。
建築の模型やCGの映像が流れています。
以前同じ美術館で「ディーナー&ディーナー展」があったことを思い出しました(2009年)。1つの建物だけでなく周囲の建物を模型に乗せることで、都市計画にも一歩踏み込んだ展示になっていたことが印象に残るよい展示でした。
今回の展示では、例えば新国立競技場の模型があったのですが、周囲の建物に魅力がなく計画的でもなく、ただ1つの建築だけの問題となっていたことが残念でした。

常設展の「抽象の楽しみ」は面白かったです。「ザハ・ハディド展」は学生らしき人たちで混んでいたのに常設展にはほとんど人がいませんでした。ゆっくりと好きなだけ観ることができました。
堂本尚郎「絵画」が印象に残りました。絵画においてどのように画面を構成し、どのような筆遣いで描くかはすべて自由であることを意識させるものでした。
展覧会は加納光於、難波田龍起、野中ユリ、宇佐美圭司、李禹煥…と寺田コレクションおなじみの作家たちが並んでいます。

2014年10月13日月曜日

東京都現代美術館「新たな系譜学をもとめて」

東京都現代美術館に行きました。
「新たな系譜学をもとめて 跳躍/痕跡/身体」では、土方巽や大野一雄の映像が流れていましたが、彼らの舞踏の映像を観たことはほとんどなかったので新鮮でした。
その他の展示としては、人の発言中の身振りを分離してダンスに見立てるもの、パルス電流で筋肉を動かして他人の体の動きをコピーしようとするものなどがありました。
一番印象に残ったのは巨大スクリーンに映った野村萬斎さんの狂言の舞いです。世田谷パブリックシアターでの「三番叟」を収録したものですが、複数台のカメラを使いクローズアップやカット割りを多用して変化に富んだ映像になっていました。

「ミシェル・ゴンドリーの世界一周」では映画のセット(のようなもの)を展示作品としていました。完全に本物に似せたセットというより、どこか偽物めいた雰囲気を残していました。例えば本物の雑誌が置いてある隣には、実際には存在しない架空の雑誌が置いてあったり。

常設展では関根直子さんとサム・フランシスの作品が良かったです。特に後者は3点の大作が展示されていて印象に残りました。

2014年10月7日火曜日

新国立劇場「パルジファル」

新国立劇場のオペラ公演「パルジファル」を観ました。(以下では「パルシファル」と書きます。)
床にLED光源の「光の道」を配置し、場面によって様々に照明の色を変えていました。
舞台は部分的に上昇下降し、聖槍をモチーフとした巨大な刃「メッサー」が回転して舞台上に現れ、その上に人が寝そべったりしていました。それらすべてが美しく、これまで見たこともないような新鮮なものとして受け止めることができました。

パルシファルの持つすべての生き物に対する共感を強調していました。白鳥を殺してしまったことに対する後悔の表情、花の乙女たちの場面で本当に野の花と戯れているように思わせる演出など。
パルシファルが床に倒れ、他人から水を飲ませてもらって立ち上がる姿(歌手が床に寝そべる場面は多かったです)を見ると、今回のパルシファルは表面的な強さとは無縁の存在だということが分かります。それでいて道すがら薄着の人に衣服を与える姿、アンフォルタスに代わって儀式をとりおこなう姿など、人間的な強さを感じる場面も多く、パルシファルが主人公だということを納得できました。

演出のクプファーさんのインタビューでは聖杯騎士を「形骸化したキリスト教の象徴」として断罪していましたが、実際の演出では、聖杯騎士たちもまたパルシファルの後を追って(あるいは別の道を歩んで)、人としてより良い道を求める可能性があることを示していました。キリスト教の信仰の世界を描きながら、なお異なる宗教の存在を許容するという調和に満ちた結末は、現代のオペラ演出でおよそ考えられないほどのハッピーエンドだったと思います。

視覚的に美しく、しかも内面的な深さを備えた演出を見せてくれたハリー・クプファーさんに、そして本公演の制作に携わったすべての方々に心からの感謝を捧げます。

2014年9月15日月曜日

フィオナ・タン「まなざしの詩学」

東京都写真美術館「フィオナ・タン まなざしの詩学」を観ました。
2階でのビデオインスタレーションのうち、「ディスオリエント」はアジアを思わせる様々な物が棚に並んでおり、それらをカメラがアップで映し、ナレーションはマルコ・ポーロ「東方見聞録」の日本語翻訳でした。
例えば(不正確な再現ですが)「この土地は織物を産出せず、人々は毛皮をまとう。偶像崇拝の民族はカーンの支配下にある。性格は粗暴で争いを好む。コショウとナツメグの産地…」とか何とか。 何も知らない私は、架空の土地や空想上の民族を描写した朗読かと思いました。
かつて東方見聞録が書かれた頃は、ヨーロッパにおける読者にとってはそれらの土地、民族の描写がエキゾチズムをかき立て、しかも事実を反映していた訳ですが、現在ではそれらの文章は事実を伝えてはいません。しかし文章が持っている魅力の面、未知の世界に対する憧れは今でも感じることができました。

「インヴェントリー」では、古代ギリシャ、古代ローマの彫刻を集めた展示室(イギリスのソーン卿の蒐集品らしい)を複数のスクリーンで映していました。
世界中の様々な事物を蒐集し分類することは、それによって世界をすべて既知のもの、驚きのない退屈なものへと変化させる可能性もあるわけですが、映像から受ける印象は違っていました。画面に映っている事物を越えた世界、もっと別の、驚きに満ちた未知の世界への想像をかき立てるものでした。

1階ホールで「影の王国」を観ました。
本人の他に何人かのインタビュー映像が含まれていました。特に強調されていたのは、写真というメディアは時間・空間を切り取るものであり、真実を写していながらその一面しか写していないということ、そして鑑賞者が写真の置かれた状況を想像するという点でした。もう一つ、例えば戦争における一人の人間の死を、単なる統計上の数字に終わらせることなく、重みを保ったまま伝えようとする点も強調されていました。
それはおそらくフィオナ・タンさん自身の主張であり、どの作品も真実の一部しか伝えていないこと、そして鑑賞者の解釈にゆだねられることを認め、それでも1つ1つのイメージを新鮮なものとして構成しようする決意の表れなのだろうと思います。

2014年8月23日土曜日

東京国立近代美術館常設展

東京国立近代美術館の常設展に行きました。
楢橋朝子さんの写真は海面すれすれにカメラを置いて、遠くに見える地上の景色と水中とで画面を構成していました。個人的には子供の頃、潮干狩りでアサリを取っているとき見た景色を思い出しました。それは浜名湖だったのですが、海とつながっているので塩水湖で、太平洋の波が直接来るわけではないですが気分的には海と同じであり、その頃の記憶がよみがえりました。にぎやかで大勢の海水浴客がいる光景から、ちょっと海に潜るだけで静けさが周りを包むのでした。
常設展にもゲルハルト・リヒターの抽象画がありました。特別展(ハードコア)のリヒター作品と似ていたので一瞬何事かと思いましたが、東京国立近代美術館も海外の作品を購入しているのでした。個人的にはヤゲオ財団のリヒター作品の方が好きです。

2014年7月28日月曜日

オルセー美術館展

国立新美術館「オルセー美術館展」に行きました。
目玉の一品だけということでなく、全体としてこれほど混雑している展覧会は久しぶりです。日曜の13時ころ到着したときは入場制限なく入れましたが、15時ころには入場制限を行っていました。
カバネル「ヴィーナスの誕生」の前では「きれい」「きれい」と口々に声がもれていました。アカデミーの写真風の筆致は伝統に根ざしたものというよりは、当時の大衆の好みに合わせたのだということがよく分かりました。

印象派の風景画が良かったです。
ルノワールの「シャンロゼーのセーヌ川」からは、色そのものの魅力が感じられました。
セザンヌの「レスタックから望むマルセイユ湾」「マンシーの橋」には、色の配置のリズム感の魅力がありました。
モネの「アルジャントゥイユの船着場」には、すがすがしい空気が感じられる良さがありました。
また「アカデミーからも印象派からも距離を置いた」ファンタン=ラトゥールの肖像画には、確かに両者とは違った独自の世界を感じることができました。

展示室内は冷房が効いていて寒いです。長袖ワイシャツに上着を羽織って観賞しましたが、特に暑いということはなかったです。

オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―
会期 2014年7月9日(水)~10月20日(月)
休館 毎週火曜日 ただし、8月12日(火)、9月23日(火・祝)、10月14日(火)は開館、9月24日(水)は休館
開館時間 10:00~18:00 金曜日は20:00まで 8月16日(土)以降の毎週土曜日および10月12日(日)以降は毎日20:00まで 入場は閉館の30分前まで
会場 国立新美術館 企画展示室2E

2014年7月19日土曜日

虎ノ門ヒルズの内海聖史さん作品

虎ノ門ヒルズに展示してある内海聖史さんの作品「あたらしい水」を観ました。
1階の車寄せに面したロビーに5枚の絵が並んでいます。展示場所にはガラスケースなどなく、忙しく往来するヒルズの客たちを尻目に立ち止まってじっくり観賞することも可能です。1枚の画面サイズが大きく、聞くところによると助手を使っての制作だったようです。
絵には空間的な、実際の風景を連想する絵も(まるで森を地面から仰向けに眺めているような絵も)ありましたが、それだけではなく、時間を感じさせるような、音楽との親和性を感じる絵もありました。多彩な色合いがオーケストラのさまざまな楽器の音色を思わせるのでした。(かつて吉田秀和氏がセザンヌの林檎の絵をオーケストラ曲になぞらえたように。)

虎ノ門ヒルズのホームページには内海さん本人のインタビュー映像があり、とても面白いです。制作風景も映っています。

2014年7月5日土曜日

このブログについて

ブログタイトル「Sie hätte halt doch mich…」は、NHKラジオ講座の「まいにちドイツ語」の中に出てくる文章からとりました。
講座での文章は「Sie hätte halt doch mich heiraten sollen.」という文章ですが(日本語訳は「彼女は僕と結婚すればよかったのに。」)、後半部分を省略しています。そのためブログタイトルを日本語に訳すなら、「彼女は…すればよかったのに。」という感じでしょうか。
ちなみに「田中一郎」はゆうきまさみさんの漫画「究極超人あ〜る」の主人公R・田中一郎からとっています。
Gmailのアドレスを持っていたのでそのままGoogleのブログにしましたが、ブログアドレスが分かりづらく(おまけにブログタイトルも分かりづらく)、申し訳ありません。
はろるどさんのブログを目標に書きたいと思っています。

ローベルト・ムージルの「愛の完成」の翻訳について:
「愛の完成」は、2011年3月に青山ライフ出版から「クラウディーネの愛」というタイトルにして自費出版しました。
出版した後で翻訳に直したいところが出てきたので2012年に改訂版を作り、「ヴェローニカの誘惑」という作品を足し、渡辺紅月さんの作品を表紙に使わせてもらうようお願いして(ギャラリーQの上田雄三さんにはお世話になりました)、もう一度出版しました。
ところが時間が経ってみるとさらに翻訳を直したいところがいくつも出てきたので、全面的に改訂した上で(本の形で出版するのでなく)ブログに掲載することにしました。今のところこのブログ版が最終版です。
もう一度テキストファイルの形で掲載しておきます。不慣れなのでうまくリンクできているでしょうか。それではよろしくお願いします。

愛の完成

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
田中一郎 訳『愛の完成』は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

バルテュス最後の写真 密室の対話

三菱一号館美術館の「バルテュス最後の写真 密室の対話」展に行きました。
ヴァロットン展とはチケット売り場も入口も違っていて、一室だけでの展示でした。
室内で少女がソファに横たわるポラロイド写真が並んでいます。モデルを務めるのはアンナ・ワーリ嬢。彼女が書いた「水曜日の午後」という文章の抜粋が展示してありました。それによると、彼女はバルテュスの隣人であり、ある日モーツァルトを口ずさんでいたところ、運命的なものを感じたバルテュスが親を介してモデルを依頼したのだそうです。彼女は8歳から16歳まで毎週水曜の午後にバルテュスの家を訪れますが、誰に強制されたわけでもなく自分の意志であったこと、彼に「祖父のような、友人のような」親しみを感じていたことを書いています。
8歳に近い頃の写真では自然光だけを使い、光を浴びた白い肌と影となった黒の部分とのコントラストが強調され、神秘的な感じがありました。16歳に近い頃の写真では画面全体に照明を当てており、大人の体になりつつある少女の身体の生み出す曲線を強調していました。それらの写真を題材に晩年のバルテュスは絵を描いていたわけです。
ショップには今回のポラロイドの写真集もありました。「BALTHUS room17」の方は2800円という値段で、蛇腹式の凝った作りの製本で写真は13点ほど。高価な方の本は値段が約10万円。こちらはもう少し点数が多いようです(詳細には中身を確認できませんでした)。

会 期    2014年6月7日(土)~9月7日(日)
会 場  三菱一号館美術館 歴史資料室(入口は広場側でなく大名小路側)
開館時間    10:00~18:00(金曜は20:00まで)*入館は閉館の30分前まで

2014年6月29日日曜日

ヴァロットン展

三菱一号館美術館の「ヴァロットン展 冷たい炎の画家」に行きました。
ルナール「にんじん」の挿絵の人です。挿絵以外の木版画も数多く展示されていました。どことなくカレル・チャペックを連想しました(チャペックの挿絵は兄のヨゼフ・チャペックが描いている)。油絵の大作がいくつも展示されていましたが、どう見ても木版画に本領を発揮した人としか思えませんでした。
画面の大部分を黒で構成し、大胆な省略を交えながらの鋭い描写。室内での男女の恋模様を描いたもの、楽器演奏家を描いたもの、パリの街を行き交う群衆を描いたものなど。群衆の顔が漫画のように単純化され、その単純な線からユーモラスな雰囲気が生まれていました。社会を風刺しながらも、木版画の暖かさと描写の鋭さとのバランスを取った人だと思います。

会期          2014年6月14日(土)~9月23日(火・祝)
開館時間   10:00 ~18:00(金曜(祝日除く)のみ20:00まで)
休館日       月曜(但し、祝日・振替休日の場合は開館/9月22日(月)は18時まで開館)

2014年6月12日木曜日

リリウム 少女純潔歌劇

池袋サンシャイン劇場の「LILIUM〜リリウム 少女純潔歌劇〜」を観ました。
男優は一人も出演していません。それどころかハロー!プロジェクト以外の人間は一人も出演していません。
そのせいなのか、脚本も非常に狭い世界に限定されたほとんど展開のない物語になっていました。もしかすると一時間くらいの簡潔な舞台にすべきだったのかもしれませんが、全体の雰囲気は決して不快なものではありませんでした。幻想的な一篇の詩を読むような感じといえました。
出演者では田村芽実さんが印象に残りました。私は勝手に想像で彼女は癖の強い演技をするのかと思っていましたが、実際は自分の個性を出し過ぎるわけでもなく役柄になりきった演技でした。
そしてもう一人あげるなら中西香菜さんでしょうか。難しいはずの男役をとても自然に演じていました。キャメリア(役名)の苦悩はちゃんと観客に伝わっていたと思います。

2014年6月6日金曜日

「映画をめぐる美術」展ほか

東京国立近代美術館「映画をめぐる美術」展に行きました。
やなぎみわさんの作品「グロリア&レオン」が良かったです。
カサヴェテスの映画「グロリア」とベッソンの映画「レオン」の場面を、制服を着た日本の若い女性(演劇部の学生?)が演じています。すぐそばで別の女性たち(演劇部の部員?)が見つめる中、演技は進んでいきます。
映画の一場面だけを切り取っているので、観客が物語を理解するのはむずかしいです。映画では登場人物は少年だったり、中年男性だったりするわけですが、その台詞を少女が言うことで違和感が生まれます。演技もそれほど上手くないので、さらに違和感が増幅します。
それでも少女たちの真剣さ、存在の生々しさははっきり伝わりました。ドラマを推進するような演技力は乏しいかもしれませんが、その生々しさが「グロリア&レオン」という作品全体を高める方向に働いていました。

常設展では川端龍子(かわばた・りゅうし、1885-1966)の特集が印象に残りました。日本画の画家の中でもずばぬけた力量の持ち主という感じがします。

2014年5月17日土曜日

今関舞香展「ゆめいじり」

銀座の十一月画廊で行われている今関舞香さんの展覧会「ゆめいじり」を見ました。
万華鏡と石膏のレリーフと無数の小ドローイングが展示されていました。
ドローイングはモデルの裸体を筆ですばやくデッサンしたようでした。レリーフは子供の下半身や乳房を思わせる部分が平面から飛び出しているものでした。
そして万華鏡は、手のひらサイズの小さなものから銅板で作られた大きなものまでありました。最大のものは、ちょっと漫画的に太った人体がお尻を突き出している形でした。台座に固定されているので転倒したりしません。鑑賞者は尻の穴から眺めて頭部にセットされた万華鏡の部分を回転させることになります。液体(グリセリン)に材料が収められており、回転させて止めるとしばらく慣性で動くので視覚的に面白いです。
作家さんと話をしたのですが、まだ大学院生なので制作は大学で行っており、注文を受けたとしても夏休み期間中は大学が休みのため制作できないとのことでした。

2014年5月5日月曜日

DIC川村記念美術館コレクション展

DIC川村記念美術館に行きました。
5/6までの土日祝日限定でDIC総合研究所の敷地内の一部に入ることができました。
道路端にはツツジの花が咲いていました。
美術館では山口長男さんの小特別展とコレクション展がありました。
バーネット・ニューマン「アンナの光」はもはやDIC川村記念美術館にはなく、ニューマンルームは完全に閉鎖されていました。マーク・ロスコの作品を展示した部屋の深遠で閉ざされた世界から外光の降り注ぐニューマンの部屋へと上昇する行程はこの美術館の白眉であったわけですが、それはもはや存在しません。
コレクション展では、これまで常に展示されていたというわけではないロダン「煉獄」やヴンダーリヒ「座長」などの彫刻が印象に残りました。
レンブラント、ルノアール、コーネルなどいくつかの作品もコレクション展に移動し、周りの作品が変わることで新鮮な感じを与えていました。
作品の横のキャプションにも力が注がれていました。例えばブルトンの肖像(マン・レイ撮影)を使ったコーネルの作品の横には、マン・レイについてのブルトンの文章がありました。別のコーネルの作品の横には、瀧口修造のコーネル賛の文章がありました。また藤田嗣治の絵の横には、藤田とモデルの女性の間のエピソードが書かれていました。
コレクションから新たな魅力を引き出そうとする学芸員の方々の努力に敬意を表します。そしてニューマンが去ってなお、遠方からの来訪者を引き付ける美術館であることを期待しています。

2014年5月3日土曜日

根津美術館「燕子花図と藤花図」

根津美術館に行きました。
庭園では燕子花が咲いていました。
また藤の花も咲いていました。
そして美術館では「燕子花図と藤花図」展が開かれていました。
尾形光琳の燕子花図は伊勢物語の場面を描きながら大胆な省略を行い、男や連れの者たちの姿はどこにもありませんでした。あるいは単に燕子花をデザイン化して描いただけとも解釈できます。同じ燕子花を繰り返して描いているのかもしれませんが、見た印象では多種多様な描写が行われていると感じました。

燕子花は伊勢物語の八橋の段に登場する花です。
男が三河の国八橋に着いたところ、燕子花が美しく咲いていた。そこで「かきつばた」を各句の頭において旅の思いを詠んだ。

からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ
(慣れ親しんだ妻が京にいるので旅が物悲しく思われる)

京の都を離れた男の望郷の思いに連れの誰もが涙した、と。
伊勢物語は簡潔な短い文章によって読者の想像をかき立て、歌によって物語の各段を鮮やかに締めくくるところが特徴だと思います。
以前出光美術館で伊勢物語展がありました。そのとき筒井筒の段に感動したことを覚えています。子供のころ井戸のそばで互いの髪の長さを比べ合った男の子女の子は成長しやがて夫婦となった。けれどもやがて男は他に女を作りその家に通うようになった。あるとき男が外出するふりをして自分の家を外から覗いてみると、妻は夫の無事を願って歌を詠んでいた。その姿を見て夫は他の女の元に通うのを止めた、という話です。
私がこの話に感動した理由は、夫を待つ貞淑な妻の姿に感動した、ということではないです。むしろ簡潔な描写によって運命の変転に対する想像がかき立てられた、というのが正しいです。

特別展 燕子花図と藤花図 光琳、応挙 美を競う
会場:根津美術館
会期:2014年4月19日(土)~5月18日(日)
開館時間:10:00 - 17:00
休館日:月曜日 (5月5日(月・祝)開館)

夜間開館:5月13日(火)〜18日(日)
開館:午後7時まで

2014年4月20日日曜日

バルテュス展

東京都美術館「バルテュス展」に行きました。
その昔雑誌のマリ・クレールでバルテュスのインタビュー記事を読んだ記憶があります。そこで彼は「人工的な光ではまったく物を見ることができないのです」と語っていましたが、今回の展示はまぶしいピンポイントの照明の元でした。

若くしてピエロ・デラ・フランチェスカの模写から始めた彼の絵は、古典的な均整のとれた構図を重視していました。
光を表現するに当たって、明暗のコントラストではなく微妙な色彩の変化で表現しようとしていました。(無人の部屋を描いた「窓、クール・ド・ロアン」)
人物の顔や膝のように細かく描写する部分と、直線的な脚のように幾何学的な配置の部分とが共存していました。(少女を描いた「夢見るテレーズ」、「美しい日々」)
異物の共存は多くの絵の中に感じられました。くすんだような壁の色と鮮やかなスカートや靴下の色、微妙に色彩が移り変わる背景に対して少女の均質で滑らかな肌…
そしてその共存は後年になるにつれ、絵の質感(マットな、あるいはフレスコ画的な)への追求に至り一つに収斂されていくのでした。

蛇足:
日本橋高島屋で「Smile 浅田真央23年の軌跡展」が開かれていました。それを観たせいなのでしょうか、バルテュスが後に伴侶となる節子さんを描いた「日本の少女の肖像」(1962年)を観ると、少し浅田真央さんに似て見えました。

2014年4月11日金曜日

「栄西と建仁寺」

東京国立博物館「栄西と建仁寺」展に行きました。
俵屋宗達「風神雷神図屏風」を観ましたが、よかったです。
顔の表情、手足や筋肉の様子、衣装の流れるような曲線、風神雷神の配置、すべての筆致に迷いがなく説得力に満ちていました。
他には海北友松(かいほう・ゆうしょう、1533-1615)の障壁画がありましたが、圧倒されました。縦2m弱、横1〜1.5m程度の大きさの水墨画が、複数枚で一組となり何組も展示されています。
内容は人物図、花鳥図、雲龍図など。画面も大きいですが描かれた人物、動物、龍なども大きいです。でも墨の濃淡が巧みで背景と溶け合っているので、少しも間延びしていません。さらにぼかしや省略によって周囲の事物の存在を暗示し、それによって広大な世界を想像することができました。

2014年3月26日水曜日

工藤哲巳回顧展ほか

東京国立近代美術館に行きました。
企画展は「工藤哲巳回顧展」でした。
「あなたの肖像」では、空っぽのデッキチェアにわずかに残る頭蓋や目玉や水着の痕跡、パラソル付きベビーカーの手すりから垂れ下がる人体の残骸(原子爆弾による人体の蒸発を連想させる)によって、死を確かに表現できていました。
ただそれはあくまで他者の死であったわけですが、後年に至り、作家自身が鳥籠の中で編み目にからみつかれ瞑想する作品あたりから次第に、自分の運命としての死が現れるようになってきました。
「インポ哲学」のような露悪的な作品でなく、死を扱った作品に魅力を感じました。

所蔵作品の企画展に岡崎乾二郎さんの絵が4点ありました。
ナイフで塗り付けたような筆跡はでたらめのようで、すぐ隣にほぼ同じ筆跡(色が違う)の作品があるので、決して思い付きの作品でないということが実感できました。
また絵の脇に書いてある文章は、人工知能が文を書いたような、意味がありそうななさそうな文章でした。プリミティブな感覚は絵と文章の両方に共通するものでした。

2014年3月8日土曜日

さわひらき展

東京オペラシティアートギャラリーさわひらき展に行きました。
映像作品が上映されています。
室内にたたずむ男の姿、空中で回転するレコード、それに指を当てて音楽を聴こうとする男。
(これは突然記憶喪失に見舞われた友人の逸話を元に、身の周りのすべてを新しい発見として眺めなければならなかった彼の姿を描いているのだとのこと。)
流れている映像は謎めいていて、しかも視聴者を飽きさせないところがあります。
室内暖房機の背景に、ダンスのステップを踏む少女の映像が流れたり、動かない本棚の向こうでクルクルと歯車が回っていたり。

オオタファインアーツでもさわひらき展をやっていました。
湖ほか風景の映像、空中を飛ぶ鳥たち、室内の様子。

どちらの展覧会でも、映像にはまったく説明がないのですが思わず見入ってしまいました。世界を初めて見るときの驚きの感情があり、ありふれた事物に対する新たな興味をかき立てられるところがありました。

さわひらき Hiraki Sawa UNDER THE BOX, BEYOND THE BOUNDS
会場:東京オペラシティ アートギャラリー
会期:2014年1月18日(土)− 3月30日(日)
開館時間:11:00 - 19:00 (金・土は20:00まで/最終入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日

さわ ひらき展
会場:オオタファインアーツ
会期:2014年2月12日(水) - 4月26日(土)
開廊時間:11:00 - 19:00
休廊:月・日・祝日

2014年2月21日金曜日

MOTアニュアル2014

東京都現代美術館「MOTアニュアル2014フラグメント 未完のはじまり」に行きました。
福田尚代さんの展示がありました。以前は回文の展示をしていた彼女ですが、今回は文字の分解・解体を行っていました。
本の中のある一文だけが見えるような状態で展示されていました。その一文に含まれる「バートルビー芸術」という単語を際立たせるように。バートルビー。すなわち創造することに対する困難性の象徴。エンリーケ・ビラ=マタスの「バートルビーと仲間たち」の中の文です。
別の展示ではアルチュール・ランボーの手紙の翻訳本のページを並べていました。何枚かの紙では文字がぼやけ見えないのですが、よく見るとページに微小な穴が開いていて、そのせいで文字が読めなくなっていました。まるで病気の牛の脳細胞を電子顕微鏡で撮影したところ、微細な穴が開いていて組織がスポンジ状になっていた、とでもいうように。

ランボーは人生の途中で詩作をやめ、後は商人として、ただ文章といえば手紙を書くだけで後半生を過ごしたのでした。そしてビラ=マタスはランボーをバートルビーの一人に分類していましたが、バートルビーという単語を「書くことに困難を感じること」のような、一般的な広い概念として使っていました。
「バートルビーと仲間たち」という本を手にしたとき、私はランボーとバートルビーの関係について、もっと狭い意味で使われているのかと思っていました。
例えば作曲家のラヴェルが晩年に脳に異常をきたし、「日常生活は可能なのに音符を書くことができない」状態におちいったように。ランボーは手紙のような文章を書くことに何の障害もなかったのだが、詩を作ることはできなくなるような脳の異常を発症したのではないだろうか…
残念ながらそのような記載はありませんでした。そしてそのようなことを言っている研究者がはたしているのかどうか、私には分からないのでした。

展覧会では他に高田安規子さん政子さんの展示もありました。精巧なトランプの模様からペルシャじゅうたんへと想像が広がるような作品の展示が印象に残りました。

2014年2月13日木曜日

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義」

三菱一号館美術館「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900」に行きました。
ラファエル前派やアルバート・ムーア、フレデリック・レイトンなどの絵が展示してあります。
彼らは聖書や古典の一場面を描く絵画から抜け出して、特定の物語を題材としない絵を、「主題のない」ひたすら目を楽しませるような絵を描こうとしていました。それはまた、当時の財をなした富裕層が新しく社会の中心となろうとする動きとも重なるものでした。
ウィリアム・モリスたちが行った本の装飾や日用品の装飾も展示してありました。少数生産の高価なものであれ、大量生産の安価なものであれ、そこには同時代の人々に美を届けよう、大衆と関わろうとする意志を感じることができました。
「唯美主義」という言葉から想像されるような、現実世界を見ようとしない、時代に背を向けた人間の姿は(そのような美術収集家の姿を描いた風刺画は確かに展示されていましたが)、少なくとも芸術家の作品からは感じられませんでした。

個人的にはアルバート・ムーアの「真夏」という作品が印象に残りました。
古代ギリシャを舞台としていながら、近代的な空間と光の描写があり空気感が表現されていて、堂々たる美の世界がありました。また題材こそ直接古典から取っていなくても、伝統的絵画とのつながりは完全に途絶えてはいませんでした。

2014年2月1日土曜日

渡辺千尋展

不忍画廊と練馬区立美術館とで開催されている渡辺千尋展に行きました。
不忍画廊に展示されていた「アダムとイブ」は不思議な作品で、20世紀のシュールレアリストたち(かつて澁澤龍彦が好んで取り上げたエロティシズムの作家たち)を思わせるものでしたが、そのような作品はこれ一点でした。
練馬区立美術館に展示されていた油絵を観ると、物の表面の肌理に目が引き付けられ、平面芸術との親近性を感じました。また風景を描写した銅版画には、空間のすべてを線で埋め尽くそうとする作者の執念が感じられてくるのでした。
版画集「象の風景」も販売されていました。その中で渡辺さんはハンス・ベルメールについて言及していながら、不思議なことに「彼のビュランはデッサン画以上の何も進展していない」「ビュランに生命がない」と言うのです。(ベルメールの銅版画は彼の同時代の彫師が彫っている)
ベルメールの「道徳小論」などの作品は、銅版画であってしかも彼の最高の芸術が現れていると思うのですが…。銅板を彫る作業はデッサンをただ銅板に写すだけの作業ではない、それを越えるものでなければならない、というのが渡辺千尋さんの主張なのでしょう。
不忍画廊
2014年1月15日(水)~2月8日(土)
休廊日:日曜日・祝日
営業時間:11:00~18:30

練馬区立美術館
2013年11月30日(土)〜2014年2月9日(日)   
休館日:毎週月曜
開館時間:10:00~18:00
観覧料:無料

2014年1月26日日曜日

ムージル「愛の完成」の翻訳(その1)

ローベルト・ムージル作「愛の完成」を翻訳してみました。(その1)
(改訂したため削除しました。2016年7月1日)

ローベルト・ムージル作「愛の完成」

ローベルト・ムージル作・古井由吉訳「愛の完成」は以前から好きな作品でした。
難解な文章が延々と続く作品なのですが、夫への愛をどこまでも高めようとする妻の思考を縦糸に、過去の乱れた性生活の記憶や旅先での行きずりの男との行状を横糸にした、細かい論理の編み目がやがて不倫へと織り上げられていく見事な作品だと思いました。
表面は夫への忠節を誓い目の前の男への嫌悪を表現していながら、その裏側に精神的にも肉体的にも男へ惹きつけられ囚われていく女の心理が垣間見えるような気がするのでした。

原文は抽象的な表現を多用していて意味が一つに定まらない難解さがあるのですが、古井由吉さんの訳はやはり抽象的で意味の分かりにくい、それでいて何かが伝わるような印象を与えるものでした。
しばらく古井さんの訳を読んで満足していたのですが、ふと「自分で日本語に訳したらどうなるだろう」と思いました。原文をできるだけ理解できるような文章に、最もふさわしいと思われる一つの意味を取り出すようにして訳してみました。自分を原作者と同化するというよりも、むしろ原作者と読者の間の仲介者になろうとして翻訳を進めました。
私自身はドイツ語に堪能ではなくムージル研究者でもないのですが、手間をかけて辞書を引いた結果がどなたかの役に立つものでしたらうれしいです。

ムージルは1942年に亡くなったのですでに没後70年以上が経過しており、原作者の著作権が切れていると考えて翻訳を公開するのですが、これはムージルの原作を利用して金銭的な利益をあげようとするものではありません。またこの翻訳を再利用していただいてもかまいません。
(クリエイティブ・コモンズの表現では「表示・非営利」ということになるでしょうか。)

2014年1月17日金曜日

東京都写真美術館

東京都写真美術館に行きました。
地下1階は高谷史郎さんの「明るい部屋」です。
レンズを使って対象物を平板に映す光学装置「カメラ・ルシダ」、ロラン・バルトが著書「明るい部屋」で取り上げた過去の有名な写真家の作品など。
印象に残ったのはディスプレイに映った円形の映像の展示です。円の周辺部に360°の地平線が映っていて、円の中心に真上の空が位置していました(魚眼レンズを使って撮影した映像)。雲が猛スピードで流れ、やがて日が沈んで夜の景色になるのでした(何万枚もの写真を高速でつないだ映像とのこと)。それからびわ湖ホールでのパフォーマンスの映像(先ほどの魚眼レンズの映像を天井のスクリーンに映し、舞台上で演者が演技をする)も謎めいていて心に残りました。

2階は5人の新進作家の作品展「路上から世界を変えていく」です。
林ナツミさんの写真はやはり人間が浮遊していました。でも今回の展示作品では、ユーモラスな感じというよりも大画面で高精細なもの、立体視のための2枚組写真などへ主眼が移っているのでした。
糸崎公朗さんの作品の中には、都会の大きなビルの写真と、道端にひそむ一匹の昆虫の写真とを、その間をつなぐ写真を何枚もつなげて一つの作品にしたものがありました。大きいものと小さいものとが一つに共存していて面白かったです。

3階は植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ「写真であそぶ」です。
ラルティーグの作品は家族の一瞬の動きをとらえたものが多く、人物の動きの面白さ、ユーモラスな雰囲気が写真撮影によって抽出されているのでした。
植田正治の作品(子供たちの写真、砂丘での家族写真など)はラルティーグよりも演出が加えられているのですが、でもそれによって面白さが増しているような気がしました。

2014年1月10日金曜日

大貫妙子トリビュート・アルバム

「大貫妙子トリビュート・アルバム」を聴きました。
発売日から少し日が経ってしまいましたが。発売元はエイベックス・マーケティング。ライナーノーツに本人の文章がなく、公式ホームページに発売の告知が出る、そのような商品です。
不思議な気がするほど曲に合っていたのは、奥田民生さんの「突然の贈り物」でした。女性の立場からの歌詞であることを意識させることもなく、女を演じることもなく、淡々と、マイペースで歌っていました。最近の大貫さんの一音一音を切るような歌い方でなく、音を伸ばして、つなげた(それはアルバム「ミニョン」の頃の大貫さん本人の歌い方でもあったわけですが)歌い方でした。
原田知世さんの「色彩都市」は音程の取り方が音符そのものよりちょっとずらして入ってくるような、微妙な翳りや色合いを出しているようで、大貫さん本人と表現の類似性が現れているように思え、やはり魅力的なのでした。
そして私がこのアルバムを購入する決め手となったラジさんの「風の道」。坂本龍一さんのドラマチックな編曲は好きでした。でも今回聴くと神秘的なほどの壮大なスケール感は乏しいのでした。かつて坂本龍一さんのラジオ(NHK-FM「サウンドストリート」)で流れたときは安価なラジカセで安いカセットテープに録音したにもかかわらず、感動したのに。ラジさんのストレートな歌い方も同曲のベスト歌唱という気がします。というわけで感動を求める方はLP「キャトル」を最新のアナログプレーヤで演奏してみてはいかがでしょうか。

2014年1月3日金曜日

大浮世絵展

江戸東京博物館「大浮世絵展」に行きました。
春信、歌麿、写楽、北斎、広重、国芳など有名な絵師の絵がずらりと並んでいるのを見ると、どうしてこんなに有名どころが集合できたのだろうと少し不思議な気がしましたが、正月にふさわしい華やかさを感じることができました。(正月限定の展覧会というわけではありませんが。)

個人的には鳥居清長の絵が印象に残りました。大勢の人物を描いていながら、その姿態も、着物の着方も、きちんと全員の個性が描き分けられているのでした。千葉市美術館での清長の展覧会(2007年)は今も記憶に残る良い展覧会でしたが、それを思い出しました。

1月2日の初日ですでに混雑していました。チケットを買う列が数十人、中に入ってもずらりと列ができています。ただ列は動いているので観賞できないということはないでしょう。

2014年1月2日(木) − 3月2日(日):江戸東京博物館
2014年3月11日(火) − 5月6日(火):名古屋市博物館
2014年5月16日(金) − 7月13日(日):山口県立美術館