「Consequential Strangers」という本をロバート キャンベルさんが紹介していた。キャンベルさんの訳した題名は「愛おしい他人たち」。我々の周りにいるさほど重要でない他人、例えば買い物のときに会話を交わしたり散歩のときに公園でいつも見かけたりする人々が、実は我々の幸福感に影響を与えているという本だった。そういった人々は家族や親友などとは違って、小説の登場人物でいえば端役のような存在だけれど、そういった人々にスポットライトを当てている。
なぜ彼らが幸福感に影響を与えるかというと、彼らは我々が日々抱えている問題から遠い存在であることが好都合なのだった。自分の問題から一旦離れさせてくれる存在、自分を客観視して問題解決のヒントを得る上で都合のよい存在なのである。
なぜ彼らが幸福感に影響を与えるかというと、彼らは我々が日々抱えている問題から遠い存在であることが好都合なのだった。自分の問題から一旦離れさせてくれる存在、自分を客観視して問題解決のヒントを得る上で都合のよい存在なのである。
話は変わるが、随筆集の「あなたの暮らしを教えてください3 居心地のいい場所へ」を読んでいたら、ドナルド キーンさんの文章が載っていた。日本の好きなところとして店の店員の心遣いをあげている。ニューヨークのスーパーマーケット、銀行、郵便局の窓口の人々と比べて態度に優しさがあり、それは好ましいことである、と。そのような文章を読むと、きっと日本の店員は優しい雰囲気で客の心を暖かくしているのだろうな、という気がする。
同じ本に千葉すずさんの文章が載っていた。ロサンゼルスのレンタカー店に行ったところ、店員と客が笑顔で話し込んでいて行列がなかなか進まない。客の一人は筆者の借りようとしたレンタカーが壊れている車だと教えてくれる。やっとのことで正常な車を借りると、その客は笑みを浮かべて「よい旅を」と言うのだった。世の中に間違った人がいても、人生に失敗があっても、最終的に修正できればいいじゃないか、という精神がそこにはあった。
同じ本に千葉すずさんの文章が載っていた。ロサンゼルスのレンタカー店に行ったところ、店員と客が笑顔で話し込んでいて行列がなかなか進まない。客の一人は筆者の借りようとしたレンタカーが壊れている車だと教えてくれる。やっとのことで正常な車を借りると、その客は笑みを浮かべて「よい旅を」と言うのだった。世の中に間違った人がいても、人生に失敗があっても、最終的に修正できればいいじゃないか、という精神がそこにはあった。
ふと思ったのは、アメリカと日本では「Consequential Strangers」のあり方が違うのではないかということだった。親しくない他人との接し方は国によって違う。「Consequential Strangers」の作者が想定していたのは、アメリカ人によくあるような態度や接し方だったのかもしれない。
日本語訳が出ていないので私は英語の原文を読んだ。読書はなかなか進まないし、はたして内容を理解できているのか不安にかられる。例えばキャンベルさんのようなアメリカ社会も日本社会もよく知っている人に、それぞれの社会における他人とのつき合い方を解説してもらいながら読みたい気がした。
日本語訳が出ていないので私は英語の原文を読んだ。読書はなかなか進まないし、はたして内容を理解できているのか不安にかられる。例えばキャンベルさんのようなアメリカ社会も日本社会もよく知っている人に、それぞれの社会における他人とのつき合い方を解説してもらいながら読みたい気がした。
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