2022年12月3日土曜日

牧野信一「爪」「闘戦勝仏」「月下のマラソン」

 wikipediaの牧野信一の項を見ると、デビュー作として「爪」と「闘戦勝仏」の2作が候補としてあげられ、どちらをデビュー作とするかについては複雑な問題があると書いてある。「爪」の初出は1919年(大正8年)12月発行。「闘戦勝仏」の初出は1920年(大正9年)10月発行。
 ところが牧野は作家として活動する前に時事新報社の雑誌「少年」「少女」の編集の仕事をしており、そのとき雑誌にいくつかの作品を寄稿しているのだ。
 例えばその中の「月下のマラソン」の初出は1919年(大正8年)9月発行で、「爪」や「闘戦勝仏」より早い。にもかかわらず「月下~」がデビュー作とみなされないのは、正式な作家活動以前の作品と考えられているからだろう。
 だがそれにしても「月下のマラソン」は強い印象を残す。
 中学生の主人公は夜間に開催される学校対抗のマラソン大会に参加する。応援の人垣がとだえ、急に静かになったコースを走りながら思索にふける。空に浮かぶ月を見て事故で亡くなった友人を思う。友人は遠い世界に行ったのではない、常に月のように自分のことを見ている、どれほど遠くまで走っても自分についてきてくれる、と。
 少年少女のために書かれた作品には、夢見るような美しさがあった。

 牧野信一には「ギリシャ牧野」と呼ばれる時期がある。例えば「ゼーロン」であれば小田原駅から足柄峠に向けての旅行がストア学派の吟遊詩人の旅に変わるように、現実と空想が二重写しになり、日常の風景が楽園《アルカディア》と変化する作品が多く書かれた時期である。
 重苦しい血縁関係に閉じこめられるような私小説を書いていた作家が、幻想の翼を得て天高く羽ばたくような作品を書くようになった時期だった。
 では「ギリシャ牧野」時代とは、まぐれのようなもの、ただの徒花だったのだろうか。
 少年少女のために書かれた小説を読んでいると、そんなことはない、と思わせてくれる。子どもに向けられた美しい空想、幻想性は「ギリシャ牧野」時代の作品たちの萌芽という感じがする。
 「ギリシャ牧野」の作品たちは、彼が小説を書き始めた若き日の作品たちとつながっている。そう思えたことはうれしかった。
 デビュー作がどちらの作品であるかはどうでもよい。二人のライバルが競い合うように並んでいるかのようなその後ろで、自らの存在をひけらかすことなくたたずんでいるもう一人の姿。私はそんな場面をふと想像してしまった。正式なデビュー作とは認められなくても、牧野信一はこの「月下のマラソン」という作品を世に残した、その方が大事なことだ。
 自分の中だけで満足を感じながら、今まで読んでいなかった「闘戦勝仏」はどんな作品なのか、読んでみた。
 玄奘と悟空たちの旅を書いた物語だった。
 彼らは旅の途中で朱紫という国に着くのだが、景色も人々の容姿も優しく美しい。その中にあってこの世のものとは思えぬほど美麗な王と王妃のために悟空は奮闘する。
 どこかユルスナールの「東方綺譚」を連想させるような、幻想小説という形容がぴったりの作品だった。
 牧野信一の他の小説とは全く毛色が異なっており、ここにも幻想的な作品が存在したのか、と思いながら最後の行にたどり着くと、そこに書かれていた文字。
 (七年八月作)
 大正7年(1918年)8月ということだろうか。発表が後になっただけで、書かれたのはもっと早かったということだろうか。発表順でなく書かれた順に並べるとするならこれが最初の作となるのかもしれない。
 そうすると、デビュー作を「爪」と「闘戦勝仏」の2つで争っているのは、発表が先か制作が先かという点でだったのか。
 私が頭の中で思い描いた「二人のライバルの影に隠れる一人の姿」というのはあまりにもピントが外れた物の見方のような気がしてきて、もう一度頭の中で作品たちの姿を想像してみた。
 「爪」は私小説として、「闘戦勝仏」は幻想小説として、「月下のマラソン」は現実と空想が二重写しになった小説としての姿でそこに現れた。さらに「ゼーロン」の最後の場面で作者と銅像と父とゼーロンが四人組の踊り(カドリール)を踊るように、それぞれの作品が手を取り合ってたたずんでいるように思えてきた。そしてそんな彼らの姿を月の光が優しく包んでいるような気がするのだった。

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