2025年4月27日日曜日

「詩人たちはフアナ・ビニョッシに会いに行く」

渋谷ユーロスペースでラウラ・シタレラ監督「詩人たちはフアナ・ビニョッシに会いに行く」を観た。
詩人のフアナ・ビニョッシが亡くなり、身寄りのない彼女は遺言により知り合いの若い詩人たちに遺産管理を任す。詩人の一人メルセデス・ハルフォンは映画監督ラウラ・シタレラに遺産分配の様子を映画にするよう依頼する。
遺産管理人であるメルセデスは遺品の価値を定めなければならない。この書き込みはフアナのものなのか、他人のものか。この紙切れは捨ててもよいものか、保存するに値するものか。詩はどこまで永続するものなのか。物の時間的な価値を定めることは科学でもあり信仰でもある。
詩人たちはフアナのことをよく知っているがラウラはそれほどフアナのことを知らない。映画ではメルセデスが映っている場面にラウラの演出の声がかぶさり、ときどきラウラ自身も映っている。だが両者の関心の有り様は異なっている。インディペンデント映画であるということは自分の立ち位置も含めた自分の存在に意識的であるということなのだろうか。パンフレットによるとラウラが指示を出す場面を映すこと、メルセデスが主役として振る舞うことは、映画を制作しながら決まったことだという。
映画には生前のフアナ・ビニョッシを映した映像が挿入される。自作を朗読する彼女の映像にメルセデスとラウラの思索が重なる場面がこの映画の白眉だと思った。彼女たちは詩について、あるいは映画について語りながら、それぞれの立場からフアナの詩へと接近し、そこには確かにポエジーと呼べるものが現れていたから。「詩は決して交わらない二つのものを交差させる」これはフアナ・ビニョッシ本人の言葉である。
この映画はフアナ・ビニョッシの伝記映画ではない。メルセデスやラウラとフアナとの関係性から詩の本質に迫ろうとした映画である。関係性によって詩が生じる瞬間をとらえたともいえる。
これは観てよかった。 

2025年3月15日土曜日

アンドプレミアム「カフェと音楽。」

アンドプレミアムの2025年1月号「カフェと音楽。」は良かった。音楽家や作家などさまざまな人たちが一軒の喫茶店やカフェとCDやレコードの一枚を取り上げる。あるいは音楽にこだわるカフェを取材してその店でよくかかっている曲。店主の勧めるCDやレコードたちを紹介している。ジャズが多いのだけれど無論それだけではなく、私の知らなかった音楽が満載でとてもためになった。

雑誌の中にはビル・エヴァンスの「You Must Believe In Spring」を「破滅的に美しい」と言って誉めていた人がいた。エヴァンスの破滅的な生活を念頭に置いての言葉だったのかもしれないが、「破滅的に美しい」は音楽の形容として心に残るいい表現だった。この雑誌に載っていたわけではないが、坂本龍一の「美貌の青空」を「縁起悪いほど美しい」と形容した言葉を思い出した。あれもいい表現だった。

そういえば私はこれまでジャズを聴いてこなかった。試しに小曽根真さんのラジオをしばらく聴いていた時期があったが今となっては何も記憶に残っていない。かかった曲の一曲も、とりあげた音楽家の一人の名前すらも。そんな私がエヴァンスの「You Must Believe~」のレコードを聴いているのだからわからない。一曲目「B Minor Waltz」は初めて聴いてすぐ引き付けられた曲で特に印象に残っている。もしかするとこれからもジャズを聴く時間は少ないかもしれないけれど、それでもこうしてきっかけが生まれたのは大きい。その意味でアンドプレミアムには感謝しなくてはならない。

エヴァンスのアルバムでは「undercurrent」も挙がっていた。エヴァンスのアルバムというけれど、レコードで聴くとピアノよりもギターが主役に聴こえる。そしてギターを意識しながら聴くとどういう曲なのか前より分かった気がしてくる。ピアノの音が割れ気味とか欠点も感じるけれど、これはレコードで聴いてよかった。手に入れたのはDOL盤で普通に買えるけれど、高音質盤と噂のMobile Fidelity盤にも出会えるものなら会ってみたい。

時代がCDになる前、昔レコードを聴いていたときは特に音に愛着を感じていたということはなかった。CDの時代になってオーディオ機器のセッティングに少しはこだわり、自分の好みに音を調整できるようになって、さてそこにレコードプレーヤーを据えてみると、その音の良さが感じられるようになった。耳に馴染みのよい親しみのある音。メディアが違えば音も違うのだと考え、CDとレコードは別物と割り切って聴く。昔のカセットテープを(あるいはテープからCD-Rに録音したものを)聴くこともあるかもしれない。今になってやっとオーディオシステムが固まり音楽が好きになってきたような気がする。

坂本龍一の「美貌の青空」を彼のソロアルバムでなく大貫妙子+坂本龍一「UTAU」収録の方で聴いた。売野雅男の歌詞はおそらくヴィスコンティの「ヴェニスに死す」を題材にしているのだろう耽美的な歌詞。「縁起悪いほど美しい」とはつまりそういうことなのだった。