彼は解説の中で「評伝小山清」(田中良彦著)を引用しながら小山の人生をたどる。小山清は島崎藤村の紹介で日本ペンクラブに勤めていたことがあるが、彼は後に会社の金を着服して罪に問われ、八か月刑務所に服役した。堀江はそのことに触れ、「看守に対して感謝を記している一方で、藤村への言葉は見られない。」と書く。
さらに堀江は「小山はつくりものでない善意を身にまとい、目の前の人間になにも強いることなく、それが冷淡に見えない人々を求めていく。」と書き、小山が新聞の配達員になったとき顧客が彼に向けた好意に触れ、「語り手を支えているのはこの距離感である。本性的な弱さとも言えるだろう。」と書く。
「作中人物は小山と同じように周囲の助けを借りつつ悪所に通い、麻雀に溺れ、借金をこさえて親の金を奪おうとさえする。」
「つくりものの善良さを盾にしない人々を、たとえ後ろ暗い面があっても信じること。信じることで自分も救われるのだ。」
「師の太宰には小山清の前歴も他者に対する甘えも作品の弱さもすべて見えていた。」という具合である。
堀江は解説の中で小山清の甘えや弱さを指摘する。自分が罪を犯したとしてもそんな自分を許し受け入れてくれるような相手を求める。他者の悪に目をつぶり、他人を美化して描こうとするのは、自分の悪行に目をつぶり自分を受け入れてほしいからだ、と。
小山は随筆「親切について」で次のように書いている。「思いやりだけが、私達を一切の我執から解放してくれるからである。嫉妬だとか見栄だとか憎しみだとかいふ、私達の心や目を暗くする偏見の原因が、私達の心から払拭されるからである。」
田中良彦は「(小山の隣人愛は)身近な他者との架橋が可能であり、さらに隣人愛を与えられる側であるために、小山の作品から読者は慰めを得られるのであろう。」と結論づけている。
小山清の作品には確かに人の親切心が描かれていると私も思う。だがそれは聖書における隣人愛に限られるのだろうか。それについて考える前に、「評伝小山清」でとりわけ印象に残ったことについて書くことにしよう。小説の登場人物の裏側についてである。
当時を回顧した「西隣塾記」の中で、小山は塾に鳴尾正太郎という人物がいて彼と親しくなったと書く。黒ずくめの詰襟服を着た、少年のように若々しい顔をした男。東京神学社で小山と同じ高倉徳太郎から受洗したキリスト者。讃美歌のうまい、日曜学校の子供たちから愛された男。
ところが田中良彦によると、鳴尾正太郎という人物は西隣村塾には存在しなかった。東京神学社の学生にもいない。鳴尾は小山が造型した人物なのである。
「西隣塾記」でとりわけ印象に残る「鳴尾君」が創作だというのは私にとって意外なことだった。小山清という作家は現実に自分の身の周りにいる人間を観察して、その人物の長所を小説に書いているのだと思っていたからだ。
「朴葉の下駄」の登場人物については逆の意味で意外だった。私は作品に登場する芸妓は小山の創作だと思っていたからだ。だが田中良彦によると、あの芸妓は実際に小山にとって馴染みの吉原の芸妓であり、彼女のために小山は日本ペンクラブの金を使い込んだ可能性があるというのである。
なぜ私が彼女を創作の人物だと思ったかというと、それは彼女の描写の仕方にある。細い眼、低い鼻、百姓娘であって発音にひなびた響きがあり、語り手が眠ってしまうと彼の隣で寝息を立てている女。これは本当に男女の仲にある女のことを描写したものなのだろうか。語り手は彼女と日光へ旅行に行く。二人で宿に泊まり、宿帳には彼女のことを妻と書く。だが最後まで体の関係のことなどおくびにも出さない。恋心すら描写しない。それでいて彼女は自分にとって大切な存在だというのだから──まるで自分の家族か何かの描写のように思えてくる。
同じことは「前途なお」についても言える。語り手の父親は義太夫の師匠をしていたが、その内弟子だった金沢イエという女性。住み込みで家に来ていた、語り手にとって子供の頃から馴染みの存在。
イエのことを語り手は自分の人生に光をもたらしてくれた人、自分がどんな行動を取ろうとも決して自分を見捨てなかった人として書く。私は初めイエに対する語り手の気持ちを恋愛感情なのかと思ったが、それにしてはあまりにも恋愛の負の側面の描写がなさすぎ、その代わり絶対的な尊敬の念が強すぎる。だから私にはイエを現実には存在しない、想像の中にある理想の人物のように感じていたのだった。
小山清には登場人物の書き方に特徴がある。彼は小説を書きながら考え、登場人物を書きながら考えているのである。
「私は最早、小説にしなければものを考えることの出来ない、厄介な人間になってしまったのである。」(私について)
小山にとって登場人物とは、あらかじめ決められた通りに造形されるものではなく、まるで初めてその人物に接したかのように、書きながら知ってゆくものだった。語り手が登場人物に示す思いやりは、よく知った上で相手のことを思いやろうとする作者の心の動きに寄り添ったものなのである。
これは聖書の隣人愛に近いものかもしれないが、もっと日本人が普段の生活で見せる他人への親切心に近いもの、読者にとって共感しやすいものであり、もっと作者の思考や筆の運びに密着したものだ。
解説は「小さな町」を構成する短編たちの内容に触れて次のように書かれる。
「語り手が心を許し、許され、またかかわりをもちうるのは、なにがしか欠損のある弱者ばかりだ。少年少女、身体の不自由なひと、朝鮮半島や済州島出身者、家庭に複雑な事情のある独身者、非合法活動による投獄という前科のある女性。彼らはみな、役に立っていないようでいて、じつはだれかを支え、力になっている。」
「おじさんの話」に触れ、「背伸びをして自分を完璧な「平凡」に近づけようなどと気負わず、背骨の曲がりは曲がったまま、首のゆがみはゆがんだまま、鈍い頭は鈍いままで生きていこうという勇気を持って与えてくれる一篇だ。この強さと弱さを双方兼ね備えて、なおかつ人の上に立たないという静かな覚悟こそが、短篇集『小さな町』の隅々にまで張りめぐらされた道標なのである。」と書かれる。
みすず書房の解説は決して小山を突き放すような書きぶりではなかったのに、それが後年のちくま文庫では彼の短所を指摘する文章に変わった。それは二つの同じような解説を書くことを良しとしない評論家としての矜持によるものだろうか。あるいは自身も作家であり学者であるという立場から、作家の長所だけでなく短所も見つめる公平な判断をしようとしたためだろうか。
だが小山清について文章を書くなら、彼の長所と短所のすべてを分析して解説するよりも、浅い関わりの他人を思いやって書く方がよりこの作者に相応しいだろう。
そう考えるなら、より早く書かれた「小さい町」の解説の方が、より小山清その人に寄り添った解説だったと言えるだろう。