2025年3月15日土曜日

アンドプレミアム「カフェと音楽。」

アンドプレミアムの2025年1月号「カフェと音楽。」は良かった。音楽家や作家などさまざまな人たちが一軒の喫茶店やカフェとCDやレコードの一枚を取り上げる。あるいは音楽にこだわるカフェを取材してその店でよくかかっている曲。店主の勧めるCDやレコードたちを紹介している。ジャズが多いのだけれど無論それだけではなく、私の知らなかった音楽が満載でとてもためになった。

雑誌の中にはビル・エヴァンスの「You Must Believe In Spring」を「破滅的に美しい」と言って誉めていた人がいた。エヴァンスの破滅的な生活を念頭に置いての言葉だったのかもしれないが、「破滅的に美しい」は音楽の形容として心に残るいい表現だった。この雑誌に載っていたわけではないが、坂本龍一の「美貌の青空」を「縁起悪いほど美しい」と形容した言葉を思い出した。あれもいい表現だった。

そういえば私はこれまでジャズを聴いてこなかった。試しに小曽根真さんのラジオをしばらく聴いていた時期があったが今となっては何も記憶に残っていない。かかった曲の一曲も、とりあげた音楽家の一人の名前すらも。そんな私がエヴァンスの「You Must Believe~」のレコードを聴いているのだからわからない。一曲目「B Minor Waltz」は初めて聴いてすぐ引き付けられた曲で特に印象に残っている。もしかするとこれからもジャズを聴く時間は少ないかもしれないけれど、それでもこうしてきっかけが生まれたのは大きい。その意味でアンドプレミアムには感謝しなくてはならない。

エヴァンスのアルバムでは「undercurrent」も挙がっていた。エヴァンスのアルバムというけれど、レコードで聴くとピアノよりもギターが主役に聴こえる。そしてギターを意識しながら聴くとどういう曲なのか前より分かった気がしてくる。ピアノの音が割れ気味とか欠点も感じるけれど、これはレコードで聴いてよかった。手に入れたのはDOL盤で普通に買えるけれど、高音質盤と噂のMobile Fidelity盤にも出会えるものなら会ってみたい。

時代がCDになる前、昔レコードを聴いていたときは特に音に愛着を感じていたということはなかった。CDの時代になってオーディオ機器のセッティングに少しはこだわり、自分の好みに音を調整できるようになって、さてそこにレコードプレーヤーを据えてみると、その音の良さが感じられるようになった。耳に馴染みのよい親しみのある音。メディアが違えば音も違うのだと考え、CDとレコードは別物と割り切って聴く。昔のカセットテープを(あるいはテープからCD-Rに録音したものを)聴くこともあるかもしれない。今になってやっとオーディオシステムが固まり音楽が好きになってきたような気がする。

坂本龍一の「美貌の青空」を彼のソロアルバムでなく大貫妙子+坂本龍一「UTAU」収録の方で聴いた。売野雅男の歌詞はおそらくヴィスコンティの「ヴェニスに死す」を題材にしているのだろう耽美的な歌詞。「縁起悪いほど美しい」とはつまりそういうことなのだった。

2024年12月28日土曜日

小山清について

小山清「小さな町・日日の麵麭」(ちくま文庫)は堀江敏幸が解説を書いているが、それを読むと少し意外な気がする。解説を任された人間は作者や作品について肯定的な文章を書くことが多いが、今回の彼はそうしていないからだ。むしろ小山清の甘さ、作品の弱さを指摘する論調で一貫している。
彼は解説の中で「評伝小山清」(田中良彦著)を引用しながら小山の人生をたどる。小山清は島崎藤村の紹介で日本ペンクラブに勤めていたことがあるが、彼は後に会社の金を着服して罪に問われ、八か月刑務所に服役した。堀江はそのことに触れ、「看守に対して感謝を記している一方で、藤村への言葉は見られない。」と書く。
さらに堀江は「小山はつくりものでない善意を身にまとい、目の前の人間になにも強いることなく、それが冷淡に見えない人々を求めていく。」と書き、小山が新聞の配達員になったとき顧客が彼に向けた好意に触れ、「語り手を支えているのはこの距離感である。本性的な弱さとも言えるだろう。」と書く。
「作中人物は小山と同じように周囲の助けを借りつつ悪所に通い、麻雀に溺れ、借金をこさえて親の金を奪おうとさえする。」
「つくりものの善良さを盾にしない人々を、たとえ後ろ暗い面があっても信じること。信じることで自分も救われるのだ。」
「師の太宰には小山清の前歴も他者に対する甘えも作品の弱さもすべて見えていた。」という具合である。
堀江は解説の中で小山清の甘えや弱さを指摘する。自分が罪を犯したとしてもそんな自分を許し受け入れてくれるような相手を求める。他者の悪に目をつぶり、他人を美化して描こうとするのは、自分の悪行に目をつぶり自分を受け入れてほしいからだ、と。

私も「評伝小山清」を読んでみた。すると著者の田中良彦は小山清の作品の本質として隣人愛を挙げていた。小山は一時期であるがキリスト教に入信していたことがあるから、隣人愛という言葉には聖書に書かれている意味での隣人愛も含まれている。
小山は随筆「親切について」で次のように書いている。「思いやりだけが、私達を一切の我執から解放してくれるからである。嫉妬だとか見栄だとか憎しみだとかいふ、私達の心や目を暗くする偏見の原因が、私達の心から払拭されるからである。」
田中良彦は「(小山の隣人愛は)身近な他者との架橋が可能であり、さらに隣人愛を与えられる側であるために、小山の作品から読者は慰めを得られるのであろう。」と結論づけている。
小山清の作品には確かに人の親切心が描かれていると私も思う。だがそれは聖書における隣人愛に限られるのだろうか。それについて考える前に、「評伝小山清」でとりわけ印象に残ったことについて書くことにしよう。小説の登場人物の裏側についてである。

小山清は学校を卒業した後、日本ペンクラブで働く前に、中里介山を頼って西隣村塾に行った時期がある。「大菩薩峠」で知られるこの作家は、精神生活と農業生活を合一させることを目指して私塾を開いていた。入塾した小山は介山の著作の活字組みや子供たちのために日曜学校の先生の仕事をする。
当時を回顧した「西隣塾記」の中で、小山は塾に鳴尾正太郎という人物がいて彼と親しくなったと書く。黒ずくめの詰襟服を着た、少年のように若々しい顔をした男。東京神学社で小山と同じ高倉徳太郎から受洗したキリスト者。讃美歌のうまい、日曜学校の子供たちから愛された男。
ところが田中良彦によると、鳴尾正太郎という人物は西隣村塾には存在しなかった。東京神学社の学生にもいない。鳴尾は小山が造型した人物なのである。
「西隣塾記」でとりわけ印象に残る「鳴尾君」が創作だというのは私にとって意外なことだった。小山清という作家は現実に自分の身の周りにいる人間を観察して、その人物の長所を小説に書いているのだと思っていたからだ。
「朴葉の下駄」の登場人物については逆の意味で意外だった。私は作品に登場する芸妓は小山の創作だと思っていたからだ。だが田中良彦によると、あの芸妓は実際に小山にとって馴染みの吉原の芸妓であり、彼女のために小山は日本ペンクラブの金を使い込んだ可能性があるというのである。
なぜ私が彼女を創作の人物だと思ったかというと、それは彼女の描写の仕方にある。細い眼、低い鼻、百姓娘であって発音にひなびた響きがあり、語り手が眠ってしまうと彼の隣で寝息を立てている女。これは本当に男女の仲にある女のことを描写したものなのだろうか。語り手は彼女と日光へ旅行に行く。二人で宿に泊まり、宿帳には彼女のことを妻と書く。だが最後まで体の関係のことなどおくびにも出さない。恋心すら描写しない。それでいて彼女は自分にとって大切な存在だというのだから──まるで自分の家族か何かの描写のように思えてくる。
同じことは「前途なお」についても言える。語り手の父親は義太夫の師匠をしていたが、その内弟子だった金沢イエという女性。住み込みで家に来ていた、語り手にとって子供の頃から馴染みの存在。
イエのことを語り手は自分の人生に光をもたらしてくれた人、自分がどんな行動を取ろうとも決して自分を見捨てなかった人として書く。私は初めイエに対する語り手の気持ちを恋愛感情なのかと思ったが、それにしてはあまりにも恋愛の負の側面の描写がなさすぎ、その代わり絶対的な尊敬の念が強すぎる。だから私にはイエを現実には存在しない、想像の中にある理想の人物のように感じていたのだった。

小山清は長編小説で一人の人間を丸ごと描こうとすることはなかったし、対象をあくまでも語り手「私」の目に映った姿として書くことが多かった。それは人間が他の人間を思いやるときの心の美しさを描写しようとしたためだろう。
小山清には登場人物の書き方に特徴がある。彼は小説を書きながら考え、登場人物を書きながら考えているのである。
「僕はこうして君にあてて書いていますが、もとより君に見せるためではありません。ただ君にあてて書くということで、自問自答をしているだけなのです。」(夕張の友)
「私は最早、小説にしなければものを考えることの出来ない、厄介な人間になってしまったのである。」(私について)
小山にとって登場人物とは、あらかじめ決められた通りに造形されるものではなく、まるで初めてその人物に接したかのように、書きながら知ってゆくものだった。語り手が登場人物に示す思いやりは、よく知った上で相手のことを思いやろうとする作者の心の動きに寄り添ったものなのである。
これは聖書の隣人愛に近いものかもしれないが、もっと日本人が普段の生活で見せる他人への親切心に近いもの、読者にとって共感しやすいものであり、もっと作者の思考や筆の運びに密着したものだ。

堀江敏幸が小山清の本の解説を書いたのはちくま文庫だけではない。みすず書房から(大人の本棚)シリーズの一冊として出版された「小さな町」にも堀江の解説が載っている。2006年発行。「小さな町・日日の麵麭」の文庫は2023年だったからそれより前だ。
解説は「小さな町」を構成する短編たちの内容に触れて次のように書かれる。
「語り手が心を許し、許され、またかかわりをもちうるのは、なにがしか欠損のある弱者ばかりだ。少年少女、身体の不自由なひと、朝鮮半島や済州島出身者、家庭に複雑な事情のある独身者、非合法活動による投獄という前科のある女性。彼らはみな、役に立っていないようでいて、じつはだれかを支え、力になっている。」
「おじさんの話」に触れ、「背伸びをして自分を完璧な「平凡」に近づけようなどと気負わず、背骨の曲がりは曲がったまま、首のゆがみはゆがんだまま、鈍い頭は鈍いままで生きていこうという勇気を持って与えてくれる一篇だ。この強さと弱さを双方兼ね備えて、なおかつ人の上に立たないという静かな覚悟こそが、短篇集『小さな町』の隅々にまで張りめぐらされた道標なのである。」と書かれる。
みすず書房の解説は決して小山を突き放すような書きぶりではなかったのに、それが後年のちくま文庫では彼の短所を指摘する文章に変わった。それは二つの同じような解説を書くことを良しとしない評論家としての矜持によるものだろうか。あるいは自身も作家であり学者であるという立場から、作家の長所だけでなく短所も見つめる公平な判断をしようとしたためだろうか。
だが小山清について文章を書くなら、彼の長所と短所のすべてを分析して解説するよりも、浅い関わりの他人を思いやって書く方がよりこの作者に相応しいだろう。
そう考えるなら、より早く書かれた「小さい町」の解説の方が、より小山清その人に寄り添った解説だったと言えるだろう。

2024年10月31日木曜日

芥川龍之介「本所両国」「トロッコ」

 私の中で芥川龍之介「本所両国」と「トロッコ」は近い関係にある。
「本所両国」で芥川は両国界隈を歩きつつ、明治の頃の思い出の景色と関東大震災を経た現実の景色とを重ね合わせる。この作品のクライマックスは泰ちゃん——下駄屋の息子、木村泰助君の作文を思い出す箇所にある。
小学時代の芥川は作文を定型的な美文調で書いていた。虹を題にして作文が出題されたとき、彼は自分の作が一番になることを予想していたが、一番になったのは彼ではなく泰ちゃんだった。教科書の匂いのしない生き生きとした口語文。夕立ちの通り過ぎたことを感じさせる文章。彼による自作の朗読を聞いて芥川は感動したのだった。淡々とした描写が続く随筆風の作品にあって、最後に感情の高ぶりが現れるのである。

それは「トロッコ」でも変わらない。作品のクライマックスはトロッコに夢中になって家から遠く離れてしまった主人公が、夕暮から夜に変わる道を一人我が家目指して必死に走る場面である。家にたどり着いた主人公は大声で泣き叫ぶのだが、どうも大げさな気がしてならない。少年の主人公にとって帰りが少し遅れたことがそんなに大ごとだったのだろうか、本当に当時の彼は泣いたのだろうか、という気がする。
だが最後に登場する二十六歳になった現在の主人公が、当時を懐かしく、愛おしく思い出しているのなら、少年の彼が泣き叫んだこともある意味で真実なのだといえる。作品の中で感情の高ぶりが姿を現したから、それを思い描いた現在の主人公が姿を現して物語は終わるのである。一体この作品は何だったのか、誰が何のために書いていたのかが最後に明かされる小説だとも言えるだろう。
両作品において大切に描かれるのは、懐かしいもの、心揺さぶられるもの——それは憧れや寂しさに裏打ちされたものであるかもしれないが——なのであり、それが作品のクライマックスを形作るのである。

2024年4月19日金曜日

私と翻訳(改訂版)

「私と翻訳」を改訂しました。構成が大きく変わっているわけではありませんが、文章の流れが良くなるように書き換え、自分についての説明を少し足しました。

(以下、「私と翻訳」改訂版)
かつて世田谷文学館で澁澤龍彦展が開かれたとき、彼の翻訳原稿を見たことがある。ほとんど書き直しのないきれいな原稿だった。なぜあれほど修正が少なかったのかわからない。下書きが別にあって清書したのだろうか。フランス語と日本語とでは文章の構造がまるで違うはずだが、どのように訳したのだろう。

私が趣味でドイツ語の小説の翻訳を始めたとき、初めて取り組んだのはムージルの「愛の完成」だった。ドイツ語の中でもとびきり難解な文章。すでに古井由吉さんの翻訳があるのにさらに翻訳する価値などあるのだろうか。だが私は人妻の不倫という題材を扱ったこの小説を、もっと自分好みの訳文で読むことはできないだろうかと思ってしまったのである。翻訳を出版するわけではなく、趣味として自分だけのために訳すのだから実力不足であってもかまわないだろう。初めのうちはこの名詞は4格だからこの動詞の目的語だ、などといちいち考えながら(初歩的すぎると呆れないでほしい)一歩一歩進んでいった。

締め切りもなく、自分の楽しみのために翻訳をすることは実は楽しいことである。翻訳を始めた当初は精神的に少し不安定だったが、一つの文章に徹底的に集中して考える行動は心の安定のためによかった。原文はどれほど時間が経っても変わらずにそこにあり、いつまでも待ってくれる。翻訳文を作るときは一つの文章ならそれほど長い時間がかかるわけではない。問題に対して比較的短時間のうちに自分なりの解答が得られるのは良いことだ。あとはそれを繰り返すのである。その場合も「愛の完成」のような中篇程度の長さであれば、長い作業だという感覚の中に、時間はかかるだろうがいつかは終わるという安心感がある。やがて翻訳の文章は少しずつ増えてゆき、自分の歩みを形として実感できる。自分はこれだけ進歩したのだ、と。

翻訳の文章の書き直しにはどこかオーディオ機器のセッティングにも共通するものがあると思う。プレーヤーは、アンプは何にするのか、スピーカーはどのように配置するのか、ケーブルは何を選ぶのかなど、やるべきことはたくさんある。だがそれはある意味で音のバランスを整えているようなところがある。高い物を買えば買うほど音がよくなるというものではない。低音から高音まで、柔らかい音から鋭い音まで、凹凸があるのを平らにする、バランスを整えて自分の好みの音を作っているというべきだろう。

翻訳について考えてみても、自分の好みを押し通すだけでなく、読者にとってどのような文章が分かりやすいか、どんな単語を選びどんな文章構造にするのか、あれこれ考えながら翻訳文を作ることになるだろう。原語の文章構造を考え、その意味を上位概念で把握し、それからその意味を表現するような日本語を考える。いったん上位概念に上がり、また具体的な文章に下ってくるような感じと言ったらよいだろうか。

ときどき思うのだが、現に書かれている文章よりも上のレベルで物事を考えることは、今の自分を高めようとする意識とどこかでつながっているのかもしれない。その場合の自分を高めるとは、優れた人間になるというようなものではなく、バランスが取れた状態を目指すという意味になるだろう。体の調子が整っているとか、心の安定が保たれているということ。

「愛の完成」のときは何度も推敲して何度も訳文を書き換えた。それは後から読み返すと不満を感じたからだが、自分の文章を何度も読んでいるうちに慣れてしまい感動できなくなったという理由もあったかもしれない。そう考えれば、翻訳を何度も書き換えることも、どんどん高みへと昇ってゆくようなものではなく、自分に対して新しい存在、新鮮な驚きを与えてくれる文章を求める旅のようなものになるだろう。

宮澤賢治も何度も自作を書き直す人だった。作品が完成してからも何度も改訂を加えているが(「銀河鉄道の夜」は飛び抜けて有名だが、それ以外にも改訂している作品は多い)、それはその時点で最もよい形態にするものであり、決定稿、最終稿を求めるという感じではないのだった。それは彼にとって日々の暮らしとともにあるもの、修行のようなものだったのかもしれない。

「トニオ・クレーガー」を翻訳したときは以前ほど書き直すことはなかった。翻訳の際の自分の文章がやっと固まってきた、書き直すにしてもすべてを最初から書き直すのでなく、修正にとどめることができるようになったということなのだろうか。そう考えれば、趣味で翻訳を始めてから時間が経ち、今やっとスタートラインに立ったといえるのかもしれない。

自分が進歩していると感じること、自分にとって世界が新鮮な驚きに満ちていること。翻訳という作業がそんな喜びに満ちたものであったらすばらしい。そんなことを願ってやまない。

2024年3月10日日曜日

プロフェッショナル仕事の流儀「ジブリと宮﨑駿の2399日」

プロフェッショナル仕事の流儀「ジブリと宮﨑駿の2399日」を観た。かなり以前に録画してあったものを最近になって観た。

画面の中のジブリ社内の机や台所はインテリア雑誌に登場する室内のように美しかった。別荘の山小屋の仕事机も美しかった。宮﨑さんが散歩に出かける近所の景色もまた美しかった。ほんの少しの編集を加えるだけで、それはドキュメンタリーでなく映像作品になるだろう。実際に番組はドキュメンタリーから離れかけていた。現在の映像の間にさかんに過去の映像を挿入する。宮﨑アニメの過去の作品の場面を挿入する。撮影兼ディレクターの荒川格さんの作品と言ってもおかしくないものになっていた。

映像の中の宮﨑さんは常に高畑勲さんのことを意識していた。現在の場面ではすでに高畑さんは亡くなっているが、過去の映像が挿入されるとそこでは高畑さんが笑顔でしゃべっている。気の弱い少年だった宮﨑さんを変えた人。会社の先輩であり、若き宮﨑さんが自分のアニメ作品を完成させる上で指針となった人。常にそばにいて宮﨑さんが優れた作品を生み出すようプレッシャーを与え続けた人。未来少年コナンは宮﨑さんが一人で製作に取り組んだが、一話の絵コンテを描いたところで力尽きてしまい、そこで手を差し伸べたのが高畑さんだったという。ナウシカのラストシーンは高畑さんのアドバイスだったという。

だが何だか不思議な気がする。観客として私から見た宮﨑さんは誰にも負けない面白い作品を作り出すことができる人、何でもないシーンを魔法のように輝かせることができる人であり、高畑さんに畏れを抱く理由などないから。また、私の知っている宮﨑さんは自分の作品に自信が持てないとか、誰か他人の作品が自分より上かもしれないとか、そんなことを考える人ではなかった。

宮﨑さんは自分の弱点がテーマの設定にあると思っていたのだろうか。そして作品のテーマについて深く理解しているのは高畑さんであると。だがどの作家にとってもテーマというものは難しいはずである。そして自分の作品の中でそのテーマを見つけるのは宮﨑さん本人しかあり得ないのであって、高畑さんではない。

テレビアニメの名探偵ホームズを思い出す。何人かの脚本家が交替で脚本を務めていたが、宮﨑さんの回はいつでも面白かった。それは脚本と演出の両方の能力のうち、特に演出の才能が際立って優れているということなのだろうと思う。どんなシーンでも印象に残る面白いものにしてしまう能力。

ルパン三世1stについて言えば、宮﨑さんはシリーズの前半には関わらず、後半から関わっている。だが全体としてみれば、私はシリーズの前半が好きだった。前半の不二子はあくまでも謎の女であり、ルパンに対する誘惑者だった。五ェ門は自分の美学を突き詰めた滑稽な男だった。ルパンには世間に対するニヒリズムと困難に挑む行動力の両面があった。そこには人間ドラマがあり、物語には複雑な陰影があった。

私は宮﨑作品を観るとき、明確なテーマがあり、目標が定まっていて、途中経過はその目標に向かうためにあるような作品を好んでいたのかもしれない。物語が目的地に向かう旅であるとするなら、その道にどのような美しい景色が広がっているか、誰と道中をともにし、どのような会話がなされるか、どのような事件が待っているかで私たちを楽しませてくれるような作品たち。

私は宮﨑作品に明快さを求めていたのかもしれない。例えば戦いの勝利、悪者の退治、少女の救出という明快さ。そのためだろうか、私は公開当時に「千と千尋の神隠し」を理解することができなかった。主人公の前に未知の世界が現れ、つぎつぎ事件が起きるが、それぞれの事件は主人公の内面の変化に影響するのであって物語の結論に影響するのではない。湯屋での騒動は物語がどこかに向っているという感じがせず、電車に乗るシーンは美しいが千尋にとってどのような意味を持つのかわからない。この作品に対する「少女の生きる力を呼び覚ます」という評を見たとき、その解釈は私からは生まれないと思った。どうやら私は宮﨑さんに対して固定観念があり、いつも同じ作品を求めていたようだ。

宮﨑さんは今回の映像の中で「脳みそのフタを開ける」「狂気の境界線まで行かないと映画って面白くならない」という言葉を発していた。可愛らしい少女を描いた健全で穏健な映画を目指しているわけではなかった。少なくとも、醜くドロドロとした危険なものを排除しているわけではなかった。

映像の中で現在の宮﨑さんと過去の宮﨑さんは容姿がかなり違っている。今は髪も白くなり、髭を生やし、やせている。見続けている人はそうは思わないだろうが、別人といってもよいほど違って見える。私の頭の中で宮﨑さんは昔の姿のままであり、現在の姿ではない。高畑さんが隣にいて、仲間内で陽気にはしゃぐ活力に満ちた人の姿。

番組は映画が完成し、日常が始まったことを伝えて唐突に終わる。結論は映画の中で語られるべきものであり、現実の生活は映画の結論とは無関係だと言っているようだ。映像の中で鈴木敏夫さんが「(宮﨑さんにとって)映画の中が現実。現実が虚構」と言っていたように。

2024年2月6日火曜日

私と翻訳

かつて世田谷文学館で澁澤龍彦展が開かれたとき、展示されていた彼の翻訳原稿を見た。ほとんど書き直しのないきれいな原稿だった。フランス語と日本語とでは文章の構造がまるで違うはずだが、どのように訳したのだろう。日本語の長い文章を頭の中で組み立てて一気に書いた、ということなのだろうか。

私が趣味でドイツ語の小説の翻訳を始めたとき、初めて取り組んだのはムージルの「愛の完成」だったが、まず日本語として成立する文章になるまで何度も書き直し、全文の翻訳が終わってからも数え切れないくらい訳文を書き換えるはめになった。後から読むと不満な箇所だらけだったから。だが適切な文章を探して自分の書いた文章を推敲し、何度も書き直すのは、実は楽しいことでもある。文章を書き直すたび、自分は進歩しているのだ(それが錯覚であろうとも)という気がしてくるからだ。

宮澤賢治も何度も自作を書き直す人だった。作品が完成してからも何度も改訂を加えているが(「銀河鉄道の夜」は飛び抜けて有名だが、それ以外にも改訂している作品は多い)、それはその時点で最もよい形態にするものであり、決定稿、最終稿を求めるという感じではないのだった。それは彼にとって、人生において日々の暮らしとともにあるもの、修行のようなものだったのかもしれない。

翻訳の文章の書き直しというと、私はオーディオ機器のセッティングにも共通するものを感じている。プレーヤーは、アンプは、スピーカーは何を買ったらよいのか。スピーカーはどう配置するのか、ケーブルは何を選ぶ、タップはどうする、インシュレーターをどう置く、など。やらなければならないことはたくさんある。

でもそれはある意味で音のバランスを整えているようなところがある。例えば直接音を出していないケーブルやインシュレーターについて、高い品物を買えば買うほど音がますますよくなるとしたら何だかおかしいではないか。低音から高音まで、柔らかい音から鋭い音まで、凹凸があるのを平らにする、こうあってほしい音の響きを出す、あちらを引っ込めこちらを出っ張らせて好みの音を作っていると考える方が自然だろう。

翻訳についても、自分の好みを押し通すだけでなく、読者にとってどのような文章が分かりやすいか、どんな単語を選びどんな文章構造にするのか、あれこれ考えながら翻訳文を作ることになるだろう。あるいはそれは、日々の暮らしをどのように行うかとどこかでつながっているともいえる。体の調子が整っているとか、心の安定が保たれているとか、バランスが取れている状態を目指すという意味で。

翻訳のとき人は原語の文章構造を考え、その意味を上位概念で把握し、それからその意味を表現するような日本語を考える。いったん上位概念に上がり、また具体的な文章に下ってくるような感じと言ったらよいだろうか。いま書かれている文章よりも上のレベルで物事を考えることは、今の自分よりも上の状態を目指すこととどこかで共通しているだろう。そして具体的な文章が目の前に現れたとき、それは自分に対して新しい存在、新鮮な驚きを与えてくれるものとなるだろう。

自分が進歩していると感じること、自分にとって世界が新鮮な驚きに満ちていること。翻訳という作業がそんな喜びに満ちたものであったらすばらしい。そんなことを願ってやまない。

2023年12月3日日曜日

映画「アポロニア、アポロニア」

菊川Strangerで「アポロニア、アポロニア」を観た。

前回観た映画は「春原さんのうた」だった。日常のような景色を新鮮な気分で集中して観ることができ、聴こえる音に耳をすますことができた貴重な体験だった。そのためもあってか、このカフェが併設された席数49のこじんまりした映画館に対してどこか親しみのようなものを感じている。期待して映画を観た。

このドキュメンタリー映画でレア・グロブ監督はアポロニアがまだ美術大学の学生だった頃から13年間に渡って彼女を撮り続けた。

アポロニアの人生は波乱万丈だった。彼女の家族が暮す家は劇場であり多くの芸術家たちのたまり場だった。両親は彼女が生まれる前から(!)アポロニアの姿を映像に収めており、その映像は映画の中でも一部使われている。彼女が子供の頃に両親は離婚し、母親とともに劇場を追い出された彼女は生命が危ぶまれるほどの重病を体験している。後に彼女は生家である劇場に戻るのだが、そこは女性権利団体FEMENの拠点となり、アポロニアは代表のオクサナと親しくなる。その影響があったのかなかったのか、後に劇場は放火され、さらに彼女は傷害事件に巻き込まれそうになった。

そんなことがありながら彼女は職業として画家を選んだ。選んだからにはどれほど人生が困難に満ちていたとしても絵を描かなくてはならない。美術大学を卒業するまでは絵のことだけを考えていられたが、プロとして生計を立てるには絵を売るために人脈を作り、絵を描くことのできる環境を作らなくてはならない。芸術は人生とは別にあるものではないのだから。

初めて個展を開いたとき、彼女は「絵に十分な時間をかけられなかった」と言い、評論家は「描かれた人物が死者のように見える」「対象に対する愛が感じられない」と言った。彼女は自分が絵を売るために魂を他人に売り渡したのではないかと思って泣き崩れるが、「○○がない」と分かるということは、それが大切なものだと分かったことの裏返しだ。

彼女は確かに周囲の状況に追われるように絵を描いたが、自分にとって大切なもの、自分の愛の対象を見失ってはいなかった。当初はモデルを使って絵を描いていたが、後年になって描く対象は人生において彼女が関わった女性像へと変わった。その中には後に自殺したオクサナが描かれた絵がある。批判された当時の彼女の絵のタッチと、称賛されるようになってからの彼女の絵のタッチがそれほど大きく変化しているとは思えない。対象を見つめる眼が深化したということなのだろう。

レア・グロブ監督の撮影は通常のドキュメンタリーではない。アポロニアに対するカメラの接近度合いは恋人、家族の視点に近い。ある場面で男のカメラマンが、宣伝写真なのだろうか、彼女を撮っていた。数十メートルはあろうかというアナルプラグの形の立体作品の前でアポロニアは「裸になりたい」と言った。男のカメラマンはやんわりと拒否する。その様子を映画のカメラはとらえている。アポロニアはレアに向けて撮ってくれと言い、レアはそれに従って裸の彼女を映像に収める。信頼の度合いが男のカメラマンとレア・グロブとでは異なっているのである。

監督は客観的な無色透明の立場で彼女にカメラを向けることをしなかった。単にアポロニアを撮るだけでなく、彼女の人生に関わり、自分自身も途中で病に倒れながら何とか復帰して映像を撮り続けた。あれほどの困難を乗り越えてなお映画を完成させるのは愛情でなくて何だろう。この映画は芸術家の成功が描かれ、男性に依存しない自立した女性像を提示しており、それは現代社会に受け入れられそうな題材である。だがこの映画の本当の要は、撮影者が被写体に対して愛情を持っていたことにあると私は思っている。