2018年2月18日日曜日

トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」実吉捷郎訳


トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」岩波文庫の実吉捷郎訳はマンの作品で初めて読んだ作品だったと思う。
当時感動したことを覚えているが、今この作品を読むと、感動とは少し異なった、脱力感にも似た感情が湧きあがるのを押えられない。
この作品のクライマックス、主人公トニオがハンスやインゲと「再会」する場面は、本当に微妙な筆使いで記述されていて、本当は会っていないのに会ったように書かれているものだから、普通のドイツ人読者の中にさえ「トニオはハンスやインゲと本当に再会した」と考えている人もいるらしい。

でも僕は、「トニオはハンスやインゲと実際には再会していない」と書きたくない気がする。
僕が感動したのは、筆の力だけで不可能を可能にし、ハンスやインゲとの再会を現出させることができることにあったわけで、そこに奇跡を求める祈りにも似た感情を見いだしていたとも言えるかもしれない。
もちろん実際には、マンという作家はそんな夢の世界を愛するような感傷性を持ち合わせていない。それは彼の他の作品や、彼の人生をたどれば分かることだ。微妙な筆致を使うことで目指したのは、ひょっとすると「誤読した読者の読解力の無さを嘲笑する」ぐらいのことだったのかもしれない。
僕が当時感じていた感動が、まったくの的外れだったのかもしれない、というような思いが、今感じる無力感に通じているのだろう。なぜドイツ人のノーベル賞作家であるマンの頭にこのアイデアが生まれたのか、むしろ日本の感傷的なマイナー作家にこそふさわしいアイデアなのではなかったのか、と思う。

この作品を考えるとき、僕は心の中で「再会の奇跡」を讃えるつもりだ。それが作品の真の姿ではないことを認めつつ、あくまでも心の中でこっそりと。

2018年2月14日水曜日

「愛の完成」翻訳解説

ローベルト・ムージル「愛の完成」を翻訳しました。

ドイツ語の原文は難解なことで知られていて、それは抽象的な記述のために文章の意味が何通りにも解釈可能であり、しかもその抽象的な記述はずっと続くのでそれぞれの文章はどの意味だったのかがいつまでたっても分からないことが理由です。

霧の中を歩くような、焦点の合わない眼鏡をかけているような感覚がする原文は、「かつてドイツ語で書かれた最も難解な文章の一つ」とまで言われるほどで、ドイツ語の素人が太刀打ちできるようなものではありませんが、無謀にも翻訳してみました。

この小説には古井由吉さんの翻訳がありますが、それは抽象的な日本語を並べて意味の解釈を一通りに定めないようにしたものでした。

ドイツ語の文章が持っていた概念の広がりと、日本語の文章が持つ概念の広がりとがちょうどぴったり対応するかどうかは疑問がありますが、ともかく難解な文章を難解なまま翻訳したものでした。

これに対して拙訳は、抽象的な原文から一つの意味を推理して抜き出して、できるだけ具体的な日本語を当てたものです。概念の広がりは原文より狭くなっているのですが、とにかく意味が分からなければ話にならないという考えのもと、分かりやすい文章を目指して訳しました。

2018年2月10日土曜日

ローベルト・ムージル「愛の完成」

ローベルト・ムージル「愛の完成」を翻訳しました。
翻訳を何度も改訂しているので最新版をアップしました。(2018年2月10日)

愛の完成(全文テキストファイル) クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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