2021年6月19日土曜日

カフカ「変身」「判決」「家長の心配」

カフカの「変身」「判決」「家長の心配」を翻訳しました。ご自由にお読みください。すでに公開済みの翻訳から一部訳文を変更しています。「田中一郎訳」を表示してくだされば二次利用は自由です。非営利での利用をお願いします。

これらの作品にはすでに多くの翻訳があり、今回の翻訳にあたって参考にしました。

『変身』(テキストデータ)クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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2021年6月5日土曜日

ヴァレリー・ラルボー「幼なごころ」感想

ヴァレリー・ラルボー「幼なごころ」を読んだ。(岩崎力訳、岩波文庫)


「ローズ・ルルダン」

 語り手の名はローズ・ルルダン。寄宿学校の一学年上の女の子に恋をする。ローザ・ケスケル。愛称はレーシェン。少しでも彼女に近づきたくて、自分の名の欄に「ローザ・ルルダン」と書き始める。更衣室に行ってレーシェンのベルトを手に取り、名前に口づけする。南ドイツではローザの愛称としてローゼレがよく使われることを知り、「ローゼレ」と呼びかける…

 好きな人には近づけず、むしろ嫌悪感をもよおすような少女の方に近づき、その少女に向かって話しかけ媚びを売る描写はすごい。少女の感性を的確にとらえるその想像力はアマチュアの域を越え、ディレッタントの域を越え、まぎれもない作家の領域に達している。

 そして名前への愛着、詩的な単語が次々と変奏される点は、読書家であり該博な知識を誇った作家に相応しい。人の名前の音の響き、文字の連なりを変化させ、それによってこの小品が生み出されたのではという気さえする。それでいてそこには好きな人の名前をノートに書いた記憶を呼び覚ますような喚起力がある。


「包丁」

 主人公ミルーは父親がその友人たちと話しているのを聞き、彼らが使う「用益権」「契約」「抵当」などの言葉が理解できない。むしろそれらの言葉は醜悪だと思う。

 訳者あとがきを読むと、作者は仕掛けを施していることが分かる。ユズュフリュイ(用益権)は、果実を意味するフリュイに「ユゼ」(使い古された、すりきれた)という単語を組み合わせたもの。それにミルーの頭の中でに「腐ったリンゴ」というイメージとつながり、読者はそれによっていかに彼の頭の中で醜悪なイメージが作られているかが分かる──だがこれを翻訳するのはとても難しい──ということだそうだ。

 ミルーの普段の話相手は小作人の娘ジュリア、だがミルーは村にやって来た羊飼いの母娘の娘のジュスティーヌに夢中になってしまう。

 父親たちから「将来は何になりたいの?将軍?アカデミー会員?大使?」と聞かれれば「召使いになりたい」と答え、ジュスティーヌに少しでも近づこうと包丁を取り出して自分の手に当てる…

 ミルーの住んでいる世界は本当に小さい。だが「用益権」の世界に出たところで、そこに彼の幸福はない。ミルーはどこへ行くのか?彼の進む先はまったく見えない。やはり彼は読書家の作家へと歩んでいくのだろうか、ラルボーその人のように…


「ラシェル・フリュイティジェール」

 親が月謝を払うことができないのに「貴族的な」学校に入れられてしまった姉妹の話。この姉妹は作者の母と叔母の学生時代の姿だ。ラシェル・フリュイティジェールはその同級生だが、なぜ彼女の名が題名になっているのだろう。彼女は月謝の払えない姉妹の姿を見て、自分も月謝を持ってこなかったと嘘をついた。精一杯二人の味方になろうとした。たった一つの優れた行動があればその主は讃えられる。その思いの深さは愛情にまで達していたのだろうか。作者は呼びかけている、「愛を愛していたラシェル・フリュイティジェールよ」と。彼女は聖歌が好きだったのだろうと言っている。

 ──主よ、みもとに近づかん…

 姉妹には救いの手が差し伸べられる。いつもふらりと現れ、いつやって来るのか決して予測できない祖父の友人がたまたま両親の元を訪れ、彼が月謝を立て替えてくれるのである。もう姉妹はパパを悲しませないようにと学校に行くふりをする必要はない。やみくもに街を歩いて時間をつぶす必要はない。二人はきちんとくしけずられた髪と白いブラウスを取り戻し、作者は「福音にかなう徳の香りに満ちた小さな魂」を讃える──それはラシェルのことだ。「母の聖書と聖歌集をめくりながら、私はしばしばあなたがたのことを考えた」──それは母とラシェルのことだ。彼女たちの人生は幸福でありながら哀しみが底を流れている。作者はもう一度、これが最も美しい歌であると言って聖歌を引用して物語を終える。

 ──主よ、ともに宿りませ。

 何と美しい掌編だろう、読み終えた僕は思わずそうつぶやいたのだった。