DVDで「ふたりのベロニカ」を観ました。
恥ずかしいですが拙い感想を書きます。
フランスのベロニカに何者かから小包が送られてきて、
後でそれはアレクサンドルからだったと明かされる。
でも彼は(ベロニカの学校を訪れていたけれど)
彼女に一目惚れしたということではなく、
女性心理を分析して本の題材としたかったのだということですね。
ベロニカの方がアレクサンドルに一目惚れしていたのは、
単なる偶然の一致だったと。
それがなかなか理解できませんでした。
つまり、小包の件はポーランドのベロニカとは関係がないのだと。
確かに小包の中には紐が入っているものがあった。
そしてポーランドのベロニカは楽譜を入れるファイルの止め紐を
引きちぎっていた。でもそれとフランスのベロニカに送られた
紐とは関係がないのだと。
(ベロニカの友人が「ヒモの件も彼の本にあった」と言っていたので、
ヒモもアレクサンドルの本に載っている何かということでしょう。)
それもなかなか理解できませんでした。
物語の中の必然と、物語の中の偶然(ただし観客がそれを偶然と思わない
のは構わない)の区別は難しかったです。
以前はこの作品のラスト、二人の恋人(ベロニカとアレクサンドル)の
ハッピーエンドを疑わなかったのですが、今はそう思わなくなりました。
アレクサンドルが行っているのはベロニカの分析であり、
いくらベロニカの霊感を分析しても、それは愛にはならないのだ、
と思うようになりました。
2016年8月10日水曜日
2016年7月1日金曜日
ムージル「愛の完成」の翻訳(全文テキストファイル)
ローベルト・ムージル作「愛の完成」は古井由吉さんの翻訳がすでにありますが、読んでいるうちに自分でも訳してみたくなり、勝手に翻訳してしまいました。(ムージル自身は1942年に亡くなっているので、すでに原作の著作権は切れていると考えて翻訳しています。)
私自身は翻訳家でもなくドイツ語にも詳しくないので、古井由吉さんの翻訳とはまったく次元の異なるものです。あらかじめご了承下さい。
愛の完成(テキストファイル)
(改訳したため削除しました。)
私自身は翻訳家でもなくドイツ語にも詳しくないので、古井由吉さんの翻訳とはまったく次元の異なるものです。あらかじめご了承下さい。
(改訳したため削除しました。)
2016年5月8日日曜日
ムージル「愛の完成」
ローベルト・ムージル作「愛の完成」の翻訳を改訂しました。
(再度改訂したため以前の版を削除しました。2016年6月30日)
https://drive.google.com/open?id=0BzXzm4RRz7w1OG1jQkR6Y0lzWDg
(再度改訂したため以前の版を削除しました。2016年6月30日)
2016年2月12日金曜日
東京都美術館「ボッティチェリ展」
東京都美術館「ボッティチェリ展」に行きました。
ボッティチェリとリッピ父子が主役ですが、個人的にはボッティチェリに注目しました。
テンペラ画、フレスコ画、版画が展示されていましたが、ダンテ「神曲」に基づく版画は来ていません。
「バラ園の聖母」では、聖母の頬の紅みや足元の大理石の模様の緻密さが印象に残りました。
「書斎の聖アウグスティヌス」はフレスコ画ですが、画面全体の白く輝くような雰囲気と異常なまでの顔のリアルな描写が印象に残りました。そして画面隅に描かれた天球儀は思ったより平面的な描写なのでした。
「書物の聖母」では、青色の発色が鮮やかすぎるほど鮮やかで、ルネサンス期の絵画を見ているような感じがしませんでした。
ボッティチェリ晩年の作品も何点か来ていました。「ホロフェルネスの頭部を持つユディト」「オリーブ園の祈り」「アペレスの誹謗」などです。かつてのボッティチェリはリアルな描写が甘美な雰囲気を生んでいたのですが、晩年に近づくにつれ苦痛を感じさせる深刻さが加わってくるのでした。「アペレス」の柱の彫刻の描写は見物です。
ボッティチェリとリッピ父子が主役ですが、個人的にはボッティチェリに注目しました。
テンペラ画、フレスコ画、版画が展示されていましたが、ダンテ「神曲」に基づく版画は来ていません。
「バラ園の聖母」では、聖母の頬の紅みや足元の大理石の模様の緻密さが印象に残りました。
「書斎の聖アウグスティヌス」はフレスコ画ですが、画面全体の白く輝くような雰囲気と異常なまでの顔のリアルな描写が印象に残りました。そして画面隅に描かれた天球儀は思ったより平面的な描写なのでした。
「書物の聖母」では、青色の発色が鮮やかすぎるほど鮮やかで、ルネサンス期の絵画を見ているような感じがしませんでした。
ボッティチェリ晩年の作品も何点か来ていました。「ホロフェルネスの頭部を持つユディト」「オリーブ園の祈り」「アペレスの誹謗」などです。かつてのボッティチェリはリアルな描写が甘美な雰囲気を生んでいたのですが、晩年に近づくにつれ苦痛を感じさせる深刻さが加わってくるのでした。「アペレス」の柱の彫刻の描写は見物です。
2015年8月1日土曜日
山城知佳子「肉屋の女」
東京国立近代美術館の常設展に山城知佳子さんの映像作品「肉屋の女」がありました。
沖縄の米軍保有地にある闇市で働く女を描いたフィクション。
しかし実際は台詞もほとんどない詩的な作品。
鍾乳洞を行く女たち。海中でダンスを踊るかのように群れる女たち。
南方の文化を思わせる神話の世界。
タイのアピチャッポン・ウィーラセタクンを連想しました。
工事現場で働く労働者姿の若い男が次から次へと肉を求めて手を伸ばしてくる。
彼らはそれを屋外の鉄板で焼いて食うのである。女は包丁で肉をさばいては渡していく。
後から後から伸びる手。ついには男たちは女をつかんで引きずり出して群がる。
男たちが去った後には何も残らない。
肉片の描写は死のイメージ。表面の映像は美しいのに裏側には死と暴力が潜んでいる。
沖縄の米軍保有地にある闇市で働く女を描いたフィクション。
しかし実際は台詞もほとんどない詩的な作品。
鍾乳洞を行く女たち。海中でダンスを踊るかのように群れる女たち。
南方の文化を思わせる神話の世界。
タイのアピチャッポン・ウィーラセタクンを連想しました。
工事現場で働く労働者姿の若い男が次から次へと肉を求めて手を伸ばしてくる。
彼らはそれを屋外の鉄板で焼いて食うのである。女は包丁で肉をさばいては渡していく。
後から後から伸びる手。ついには男たちは女をつかんで引きずり出して群がる。
男たちが去った後には何も残らない。
肉片の描写は死のイメージ。表面の映像は美しいのに裏側には死と暴力が潜んでいる。
2015年7月6日月曜日
三井記念美術館「春信一番!写楽二番!」
三井記念美術館の「錦絵誕生250年 春信一番!写楽二番!フィラデルフィア美術館浮世絵名品展」に行きました。
浮世絵の色の変化を怖れて展示室の照明を暗くしており、室温を20℃に下げていることが案内されていました。人間にとって快適な環境とは思えなかったです。
展示内容は充実していました。中でも鈴木春信が多いことが印象に残りました。そして絵の解説がきちんとしていることが有難かったです。
画面には春信流の若い美しい女が(あるいは若い男が)描かれているのですが、絵の内容を何かの物語を見立てたりしているので、その元を知ることで絵を深く観賞できるのでした。
例えば伊勢物語の武蔵野を題材とした絵は、「武蔵野は今日はな焼きそ若草の つまもこもれりわれもこもれり」の歌を踏まえ、娘の振り袖に隠れる若侍という構図に変わっていました。
まず初めに歌があって、それを春信流に絵で表現しているわけです。これは鑑賞者にとっては教えてもらわなければ到底分からないことだと思います。
後は写楽が充実しており、歌麿・北斎・広重など有名浮世絵師たちが登場していました。
浮世絵の色の変化を怖れて展示室の照明を暗くしており、室温を20℃に下げていることが案内されていました。人間にとって快適な環境とは思えなかったです。
展示内容は充実していました。中でも鈴木春信が多いことが印象に残りました。そして絵の解説がきちんとしていることが有難かったです。
画面には春信流の若い美しい女が(あるいは若い男が)描かれているのですが、絵の内容を何かの物語を見立てたりしているので、その元を知ることで絵を深く観賞できるのでした。
例えば伊勢物語の武蔵野を題材とした絵は、「武蔵野は今日はな焼きそ若草の つまもこもれりわれもこもれり」の歌を踏まえ、娘の振り袖に隠れる若侍という構図に変わっていました。
まず初めに歌があって、それを春信流に絵で表現しているわけです。これは鑑賞者にとっては教えてもらわなければ到底分からないことだと思います。
後は写楽が充実しており、歌麿・北斎・広重など有名浮世絵師たちが登場していました。
2015年6月19日金曜日
ビル・ヴィオラ初期映像短編集
森美術館で「ビル・ヴィオラ初期映像短編集」を観ました。
「歯と歯のあいだで」
遠く離れた場所にあるカメラが、叫び声を上げるヴィオラ本人に向かって動き、歯のクローズアップに至るまで近づく。その映像を何度も繰り返す。その合間に台所の映像。皿に入ったコーンフレークや蛇口から流れる水。
「映りこむ池」
森の中の貯水槽の前にたたずむ男。水の中へ身を投げる。しかし水面に落ちることはなく静止。水面に映るのは時間の経過とともに移り変わる周囲の様子。貯水槽の周りを歩く人々。
「日の老いたる者(天地創造の神)」
遠くにレーニア山が映り、その前の草地には女の子。やがてその映像は電光掲示板の映像となり、カメラが引いていくとそれが映っていたのは新宿アルタの電光掲示板。
「ヴェジタブル・メモリー」
築地場内の慌ただしい映像が何度も繰り返される。最初は超高速の早回し。繰り返されるたびゆっくりになり、最後はスローモーション。
「聖歌」
ホテルのロビーで叫び声を上げる少女。石油採掘の機械の動き。外科手術の映像。
以上です。
作者がその初期から異なる複数の時間の流れを追求していたことがよく分かりました。
人間の意識内で速くなりまた遅くなる時間の流れをビデオとして外部に取り出す試みが分かりました。素材の魅力ではなくコンセプトの魅力で最後まで飽きさせない映像でした。
ちなみにビデオ素材をデジタル化してスクリーンに投影しているのですが、映像はぼやけています。
「歯と歯のあいだで」
遠く離れた場所にあるカメラが、叫び声を上げるヴィオラ本人に向かって動き、歯のクローズアップに至るまで近づく。その映像を何度も繰り返す。その合間に台所の映像。皿に入ったコーンフレークや蛇口から流れる水。
「映りこむ池」
森の中の貯水槽の前にたたずむ男。水の中へ身を投げる。しかし水面に落ちることはなく静止。水面に映るのは時間の経過とともに移り変わる周囲の様子。貯水槽の周りを歩く人々。
「日の老いたる者(天地創造の神)」
遠くにレーニア山が映り、その前の草地には女の子。やがてその映像は電光掲示板の映像となり、カメラが引いていくとそれが映っていたのは新宿アルタの電光掲示板。
「ヴェジタブル・メモリー」
築地場内の慌ただしい映像が何度も繰り返される。最初は超高速の早回し。繰り返されるたびゆっくりになり、最後はスローモーション。
「聖歌」
ホテルのロビーで叫び声を上げる少女。石油採掘の機械の動き。外科手術の映像。
以上です。
作者がその初期から異なる複数の時間の流れを追求していたことがよく分かりました。
人間の意識内で速くなりまた遅くなる時間の流れをビデオとして外部に取り出す試みが分かりました。素材の魅力ではなくコンセプトの魅力で最後まで飽きさせない映像でした。
ちなみにビデオ素材をデジタル化してスクリーンに投影しているのですが、映像はぼやけています。
登録:
投稿 (Atom)