池袋サンシャイン劇場の「LILIUM〜リリウム 少女純潔歌劇〜」を観ました。
男優は一人も出演していません。それどころかハロー!プロジェクト以外の人間は一人も出演していません。
そのせいなのか、脚本も非常に狭い世界に限定されたほとんど展開のない物語になっていました。もしかすると一時間くらいの簡潔な舞台にすべきだったのかもしれませんが、全体の雰囲気は決して不快なものではありませんでした。幻想的な一篇の詩を読むような感じといえました。
出演者では田村芽実さんが印象に残りました。私は勝手に想像で彼女は癖の強い演技をするのかと思っていましたが、実際は自分の個性を出し過ぎるわけでもなく役柄になりきった演技でした。
そしてもう一人あげるなら中西香菜さんでしょうか。難しいはずの男役をとても自然に演じていました。キャメリア(役名)の苦悩はちゃんと観客に伝わっていたと思います。
2014年6月12日木曜日
2014年6月6日金曜日
「映画をめぐる美術」展ほか
東京国立近代美術館「映画をめぐる美術」展に行きました。
やなぎみわさんの作品「グロリア&レオン」が良かったです。
カサヴェテスの映画「グロリア」とベッソンの映画「レオン」の場面を、制服を着た日本の若い女性(演劇部の学生?)が演じています。すぐそばで別の女性たち(演劇部の部員?)が見つめる中、演技は進んでいきます。
映画の一場面だけを切り取っているので、観客が物語を理解するのはむずかしいです。映画では登場人物は少年だったり、中年男性だったりするわけですが、その台詞を少女が言うことで違和感が生まれます。演技もそれほど上手くないので、さらに違和感が増幅します。
それでも少女たちの真剣さ、存在の生々しさははっきり伝わりました。ドラマを推進するような演技力は乏しいかもしれませんが、その生々しさが「グロリア&レオン」という作品全体を高める方向に働いていました。
常設展では川端龍子(かわばた・りゅうし、1885-1966)の特集が印象に残りました。日本画の画家の中でもずばぬけた力量の持ち主という感じがします。
やなぎみわさんの作品「グロリア&レオン」が良かったです。
カサヴェテスの映画「グロリア」とベッソンの映画「レオン」の場面を、制服を着た日本の若い女性(演劇部の学生?)が演じています。すぐそばで別の女性たち(演劇部の部員?)が見つめる中、演技は進んでいきます。
映画の一場面だけを切り取っているので、観客が物語を理解するのはむずかしいです。映画では登場人物は少年だったり、中年男性だったりするわけですが、その台詞を少女が言うことで違和感が生まれます。演技もそれほど上手くないので、さらに違和感が増幅します。
それでも少女たちの真剣さ、存在の生々しさははっきり伝わりました。ドラマを推進するような演技力は乏しいかもしれませんが、その生々しさが「グロリア&レオン」という作品全体を高める方向に働いていました。
常設展では川端龍子(かわばた・りゅうし、1885-1966)の特集が印象に残りました。日本画の画家の中でもずばぬけた力量の持ち主という感じがします。
2014年5月17日土曜日
今関舞香展「ゆめいじり」
銀座の十一月画廊で行われている今関舞香さんの展覧会「ゆめいじり」を見ました。
万華鏡と石膏のレリーフと無数の小ドローイングが展示されていました。
ドローイングはモデルの裸体を筆ですばやくデッサンしたようでした。レリーフは子供の下半身や乳房を思わせる部分が平面から飛び出しているものでした。
そして万華鏡は、手のひらサイズの小さなものから銅板で作られた大きなものまでありました。最大のものは、ちょっと漫画的に太った人体がお尻を突き出している形でした。台座に固定されているので転倒したりしません。鑑賞者は尻の穴から眺めて頭部にセットされた万華鏡の部分を回転させることになります。液体(グリセリン)に材料が収められており、回転させて止めるとしばらく慣性で動くので視覚的に面白いです。
作家さんと話をしたのですが、まだ大学院生なので制作は大学で行っており、注文を受けたとしても夏休み期間中は大学が休みのため制作できないとのことでした。
万華鏡と石膏のレリーフと無数の小ドローイングが展示されていました。
ドローイングはモデルの裸体を筆ですばやくデッサンしたようでした。レリーフは子供の下半身や乳房を思わせる部分が平面から飛び出しているものでした。
そして万華鏡は、手のひらサイズの小さなものから銅板で作られた大きなものまでありました。最大のものは、ちょっと漫画的に太った人体がお尻を突き出している形でした。台座に固定されているので転倒したりしません。鑑賞者は尻の穴から眺めて頭部にセットされた万華鏡の部分を回転させることになります。液体(グリセリン)に材料が収められており、回転させて止めるとしばらく慣性で動くので視覚的に面白いです。
作家さんと話をしたのですが、まだ大学院生なので制作は大学で行っており、注文を受けたとしても夏休み期間中は大学が休みのため制作できないとのことでした。
2014年5月5日月曜日
DIC川村記念美術館コレクション展
5/6までの土日祝日限定でDIC総合研究所の敷地内の一部に入ることができました。
道路端にはツツジの花が咲いていました。
美術館では山口長男さんの小特別展とコレクション展がありました。
バーネット・ニューマン「アンナの光」はもはやDIC川村記念美術館にはなく、ニューマンルームは完全に閉鎖されていました。マーク・ロスコの作品を展示した部屋の深遠で閉ざされた世界から外光の降り注ぐニューマンの部屋へと上昇する行程はこの美術館の白眉であったわけですが、それはもはや存在しません。
コレクション展では、これまで常に展示されていたというわけではないロダン「煉獄」やヴンダーリヒ「座長」などの彫刻が印象に残りました。
レンブラント、ルノアール、コーネルなどいくつかの作品もコレクション展に移動し、周りの作品が変わることで新鮮な感じを与えていました。
作品の横のキャプションにも力が注がれていました。例えばブルトンの肖像(マン・レイ撮影)を使ったコーネルの作品の横には、マン・レイについてのブルトンの文章がありました。別のコーネルの作品の横には、瀧口修造のコーネル賛の文章がありました。また藤田嗣治の絵の横には、藤田とモデルの女性の間のエピソードが書かれていました。
コレクションから新たな魅力を引き出そうとする学芸員の方々の努力に敬意を表します。そしてニューマンが去ってなお、遠方からの来訪者を引き付ける美術館であることを期待しています。
2014年5月3日土曜日
根津美術館「燕子花図と藤花図」
庭園では燕子花が咲いていました。
また藤の花も咲いていました。
そして美術館では「燕子花図と藤花図」展が開かれていました。
尾形光琳の燕子花図は伊勢物語の場面を描きながら大胆な省略を行い、男や連れの者たちの姿はどこにもありませんでした。あるいは単に燕子花をデザイン化して描いただけとも解釈できます。同じ燕子花を繰り返して描いているのかもしれませんが、見た印象では多種多様な描写が行われていると感じました。
燕子花は伊勢物語の八橋の段に登場する花です。
男が三河の国八橋に着いたところ、燕子花が美しく咲いていた。そこで「かきつばた」を各句の頭において旅の思いを詠んだ。
からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ
(慣れ親しんだ妻が京にいるので旅が物悲しく思われる)
京の都を離れた男の望郷の思いに連れの誰もが涙した、と。
伊勢物語は簡潔な短い文章によって読者の想像をかき立て、歌によって物語の各段を鮮やかに締めくくるところが特徴だと思います。
以前出光美術館で伊勢物語展がありました。そのとき筒井筒の段に感動したことを覚えています。子供のころ井戸のそばで互いの髪の長さを比べ合った男の子女の子は成長しやがて夫婦となった。けれどもやがて男は他に女を作りその家に通うようになった。あるとき男が外出するふりをして自分の家を外から覗いてみると、妻は夫の無事を願って歌を詠んでいた。その姿を見て夫は他の女の元に通うのを止めた、という話です。
私がこの話に感動した理由は、夫を待つ貞淑な妻の姿に感動した、ということではないです。むしろ簡潔な描写によって運命の変転に対する想像がかき立てられた、というのが正しいです。
特別展 燕子花図と藤花図 光琳、応挙 美を競う
会場:根津美術館
会期:2014年4月19日(土)~5月18日(日)
開館時間:10:00 - 17:00
休館日:月曜日 (5月5日(月・祝)開館)
夜間開館:5月13日(火)〜18日(日)
開館:午後7時まで
2014年4月20日日曜日
バルテュス展
東京都美術館「バルテュス展」に行きました。
その昔雑誌のマリ・クレールでバルテュスのインタビュー記事を読んだ記憶があります。そこで彼は「人工的な光ではまったく物を見ることができないのです」と語っていましたが、今回の展示はまぶしいピンポイントの照明の元でした。
若くしてピエロ・デラ・フランチェスカの模写から始めた彼の絵は、古典的な均整のとれた構図を重視していました。
光を表現するに当たって、明暗のコントラストではなく微妙な色彩の変化で表現しようとしていました。(無人の部屋を描いた「窓、クール・ド・ロアン」)
人物の顔や膝のように細かく描写する部分と、直線的な脚のように幾何学的な配置の部分とが共存していました。(少女を描いた「夢見るテレーズ」、「美しい日々」)
異物の共存は多くの絵の中に感じられました。くすんだような壁の色と鮮やかなスカートや靴下の色、微妙に色彩が移り変わる背景に対して少女の均質で滑らかな肌…
そしてその共存は後年になるにつれ、絵の質感(マットな、あるいはフレスコ画的な)への追求に至り一つに収斂されていくのでした。
蛇足:
日本橋高島屋で「Smile 浅田真央23年の軌跡展」が開かれていました。それを観たせいなのでしょうか、バルテュスが後に伴侶となる節子さんを描いた「日本の少女の肖像」(1962年)を観ると、少し浅田真央さんに似て見えました。
その昔雑誌のマリ・クレールでバルテュスのインタビュー記事を読んだ記憶があります。そこで彼は「人工的な光ではまったく物を見ることができないのです」と語っていましたが、今回の展示はまぶしいピンポイントの照明の元でした。
若くしてピエロ・デラ・フランチェスカの模写から始めた彼の絵は、古典的な均整のとれた構図を重視していました。
光を表現するに当たって、明暗のコントラストではなく微妙な色彩の変化で表現しようとしていました。(無人の部屋を描いた「窓、クール・ド・ロアン」)
人物の顔や膝のように細かく描写する部分と、直線的な脚のように幾何学的な配置の部分とが共存していました。(少女を描いた「夢見るテレーズ」、「美しい日々」)
異物の共存は多くの絵の中に感じられました。くすんだような壁の色と鮮やかなスカートや靴下の色、微妙に色彩が移り変わる背景に対して少女の均質で滑らかな肌…
そしてその共存は後年になるにつれ、絵の質感(マットな、あるいはフレスコ画的な)への追求に至り一つに収斂されていくのでした。
蛇足:
日本橋高島屋で「Smile 浅田真央23年の軌跡展」が開かれていました。それを観たせいなのでしょうか、バルテュスが後に伴侶となる節子さんを描いた「日本の少女の肖像」(1962年)を観ると、少し浅田真央さんに似て見えました。
2014年4月11日金曜日
「栄西と建仁寺」
東京国立博物館「栄西と建仁寺」展に行きました。
俵屋宗達「風神雷神図屏風」を観ましたが、よかったです。
顔の表情、手足や筋肉の様子、衣装の流れるような曲線、風神雷神の配置、すべての筆致に迷いがなく説得力に満ちていました。
他には海北友松(かいほう・ゆうしょう、1533-1615)の障壁画がありましたが、圧倒されました。縦2m弱、横1〜1.5m程度の大きさの水墨画が、複数枚で一組となり何組も展示されています。
内容は人物図、花鳥図、雲龍図など。画面も大きいですが描かれた人物、動物、龍なども大きいです。でも墨の濃淡が巧みで背景と溶け合っているので、少しも間延びしていません。さらにぼかしや省略によって周囲の事物の存在を暗示し、それによって広大な世界を想像することができました。
俵屋宗達「風神雷神図屏風」を観ましたが、よかったです。
顔の表情、手足や筋肉の様子、衣装の流れるような曲線、風神雷神の配置、すべての筆致に迷いがなく説得力に満ちていました。
他には海北友松(かいほう・ゆうしょう、1533-1615)の障壁画がありましたが、圧倒されました。縦2m弱、横1〜1.5m程度の大きさの水墨画が、複数枚で一組となり何組も展示されています。
内容は人物図、花鳥図、雲龍図など。画面も大きいですが描かれた人物、動物、龍なども大きいです。でも墨の濃淡が巧みで背景と溶け合っているので、少しも間延びしていません。さらにぼかしや省略によって周囲の事物の存在を暗示し、それによって広大な世界を想像することができました。
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