日曜美術館「私とベイコン 大江健三郎」(1980年)が再放送されたので観た。
番組に出演した大江健三郎は聞き手の問いに答える形でフランシス・ベーコンの絵や自分の小説について話していた。番組は彼の言葉をそのまま放送していた。途中でベーコンの経歴に触れる場面はあったが、カメラはほとんどの時間ずっと大江の顔を映したままなので、視聴者は彼の言葉を聴いて自分で解釈しなければならない。
大江健三郎は自分の小説とベーコンの絵画との間に共通するものを見出している。ベーコンは肖像画ばかりを描いた。多くの作品でその顔や肉体はひどく歪められ、現実の人間をそのまま描いた絵とは思えないのだが、そこには奇妙な生々しさがある。
番組によると、ベーコンは人間のモデルを使って模写したのではなく、マイブリッジなどの人体写真を見ながら絵を描いたのだった。大江はそれを「写真を描き換えることでそれまで自分の知らなかったイメージを生み出している」と解釈した。大江は言う、素人の撮った写真は時として瞬間を切り取ることで被写体の思いがけない表情を写してしまう。時に相手をムッとさせるような。それは自分がイメージする自己の姿と異なるものが生じたことを表しているのだ。
ベーコンの表現する歪められた肉体は、ある意味で正確な絵だと言うこともできる。胸に突き刺さってくるような正確さという意味で。また、人間の表面をそのまま描くのではなく、多様性やあいまいさを含んだ正確さという意味で。彼は人体を複雑なイメージに描き換えており、そこにはイメージの運動がある、と大江は言っていた。
彼は自分の小説についても語っていた。僕は平凡な人間だ、僕の知っていることをそのまま書いても面白くない。小説を一旦書いてそれを書き換える、そのときにアクシデントのように予期しないもの、自分を超えたものが生まれる。そういう手続き、仕組みを作ることが小説を書くということだ、と。予想もしないものを生み出すという点で、彼はベーコンに自分と共通するものを見出していた。
番組の中で「同時代ゲーム」について言及があった。「日曜美術館」が放送された1980年は大江45歳。久しく見ることのなかった、とっくの昔に忘れていた若々しい彼の姿がそこにあった。
番組の構成は今の時代にはあり得ないものだろう。一人の人間の言葉を集中して聴く。そんな珍しい経験ができた。
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