東京オペラシティアートギャラリー「ザハ・ハディド展」に行きました。
建築の模型やCGの映像が流れています。
以前同じ美術館で「ディーナー&ディーナー展」があったことを思い出しました(2009年)。1つの建物だけでなく周囲の建物を模型に乗せることで、都市計画にも一歩踏み込んだ展示になっていたことが印象に残るよい展示でした。
今回の展示では、例えば新国立競技場の模型があったのですが、周囲の建物に魅力がなく計画的でもなく、ただ1つの建築だけの問題となっていたことが残念でした。
常設展の「抽象の楽しみ」は面白かったです。「ザハ・ハディド展」は学生らしき人たちで混んでいたのに常設展にはほとんど人がいませんでした。ゆっくりと好きなだけ観ることができました。
堂本尚郎「絵画」が印象に残りました。絵画においてどのように画面を構成し、どのような筆遣いで描くかはすべて自由であることを意識させるものでした。
展覧会は加納光於、難波田龍起、野中ユリ、宇佐美圭司、李禹煥…と寺田コレクションおなじみの作家たちが並んでいます。
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2014年10月13日月曜日
東京都現代美術館「新たな系譜学をもとめて」
東京都現代美術館に行きました。
「新たな系譜学をもとめて 跳躍/痕跡/身体」では、土方巽や大野一雄の映像が流れていましたが、彼らの舞踏の映像を観たことはほとんどなかったので新鮮でした。
その他の展示としては、人の発言中の身振りを分離してダンスに見立てるもの、パルス電流で筋肉を動かして他人の体の動きをコピーしようとするものなどがありました。
一番印象に残ったのは巨大スクリーンに映った野村萬斎さんの狂言の舞いです。世田谷パブリックシアターでの「三番叟」を収録したものですが、複数台のカメラを使いクローズアップやカット割りを多用して変化に富んだ映像になっていました。
「ミシェル・ゴンドリーの世界一周」では映画のセット(のようなもの)を展示作品としていました。完全に本物に似せたセットというより、どこか偽物めいた雰囲気を残していました。例えば本物の雑誌が置いてある隣には、実際には存在しない架空の雑誌が置いてあったり。
常設展では関根直子さんとサム・フランシスの作品が良かったです。特に後者は3点の大作が展示されていて印象に残りました。
「新たな系譜学をもとめて 跳躍/痕跡/身体」では、土方巽や大野一雄の映像が流れていましたが、彼らの舞踏の映像を観たことはほとんどなかったので新鮮でした。
その他の展示としては、人の発言中の身振りを分離してダンスに見立てるもの、パルス電流で筋肉を動かして他人の体の動きをコピーしようとするものなどがありました。
一番印象に残ったのは巨大スクリーンに映った野村萬斎さんの狂言の舞いです。世田谷パブリックシアターでの「三番叟」を収録したものですが、複数台のカメラを使いクローズアップやカット割りを多用して変化に富んだ映像になっていました。
「ミシェル・ゴンドリーの世界一周」では映画のセット(のようなもの)を展示作品としていました。完全に本物に似せたセットというより、どこか偽物めいた雰囲気を残していました。例えば本物の雑誌が置いてある隣には、実際には存在しない架空の雑誌が置いてあったり。
常設展では関根直子さんとサム・フランシスの作品が良かったです。特に後者は3点の大作が展示されていて印象に残りました。
2014年10月7日火曜日
新国立劇場「パルジファル」
新国立劇場のオペラ公演「パルジファル」を観ました。(以下では「パルシファル」と書きます。)
床にLED光源の「光の道」を配置し、場面によって様々に照明の色を変えていました。
舞台は部分的に上昇下降し、聖槍をモチーフとした巨大な刃「メッサー」が回転して舞台上に現れ、その上に人が寝そべったりしていました。それらすべてが美しく、これまで見たこともないような新鮮なものとして受け止めることができました。
パルシファルの持つすべての生き物に対する共感を強調していました。白鳥を殺してしまったことに対する後悔の表情、花の乙女たちの場面で本当に野の花と戯れているように思わせる演出など。
パルシファルが床に倒れ、他人から水を飲ませてもらって立ち上がる姿(歌手が床に寝そべる場面は多かったです)を見ると、今回のパルシファルは表面的な強さとは無縁の存在だということが分かります。それでいて道すがら薄着の人に衣服を与える姿、アンフォルタスに代わって儀式をとりおこなう姿など、人間的な強さを感じる場面も多く、パルシファルが主人公だということを納得できました。
演出のクプファーさんのインタビューでは聖杯騎士を「形骸化したキリスト教の象徴」として断罪していましたが、実際の演出では、聖杯騎士たちもまたパルシファルの後を追って(あるいは別の道を歩んで)、人としてより良い道を求める可能性があることを示していました。キリスト教の信仰の世界を描きながら、なお異なる宗教の存在を許容するという調和に満ちた結末は、現代のオペラ演出でおよそ考えられないほどのハッピーエンドだったと思います。
視覚的に美しく、しかも内面的な深さを備えた演出を見せてくれたハリー・クプファーさんに、そして本公演の制作に携わったすべての方々に心からの感謝を捧げます。
床にLED光源の「光の道」を配置し、場面によって様々に照明の色を変えていました。
舞台は部分的に上昇下降し、聖槍をモチーフとした巨大な刃「メッサー」が回転して舞台上に現れ、その上に人が寝そべったりしていました。それらすべてが美しく、これまで見たこともないような新鮮なものとして受け止めることができました。
パルシファルの持つすべての生き物に対する共感を強調していました。白鳥を殺してしまったことに対する後悔の表情、花の乙女たちの場面で本当に野の花と戯れているように思わせる演出など。
パルシファルが床に倒れ、他人から水を飲ませてもらって立ち上がる姿(歌手が床に寝そべる場面は多かったです)を見ると、今回のパルシファルは表面的な強さとは無縁の存在だということが分かります。それでいて道すがら薄着の人に衣服を与える姿、アンフォルタスに代わって儀式をとりおこなう姿など、人間的な強さを感じる場面も多く、パルシファルが主人公だということを納得できました。
演出のクプファーさんのインタビューでは聖杯騎士を「形骸化したキリスト教の象徴」として断罪していましたが、実際の演出では、聖杯騎士たちもまたパルシファルの後を追って(あるいは別の道を歩んで)、人としてより良い道を求める可能性があることを示していました。キリスト教の信仰の世界を描きながら、なお異なる宗教の存在を許容するという調和に満ちた結末は、現代のオペラ演出でおよそ考えられないほどのハッピーエンドだったと思います。
視覚的に美しく、しかも内面的な深さを備えた演出を見せてくれたハリー・クプファーさんに、そして本公演の制作に携わったすべての方々に心からの感謝を捧げます。